アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

死者との対話

 12月8日(ジョン・レノンが亡くなった日)前後に、ポール・マッカートニーのインタビューをいくつか読む機会があり、その中に次のような記事があった。

(曲を書いていて)『これ、どうなんだろうなあ』って行き詰まると、部屋の隅にいるジョンに向かって曲を弾いてみるんだよ。するとジョンは『それはないだろ』って言うんだよ。

そこで『これならどうかな?』ってやってみると『そっちの方がまだましだな』って返事が聞こえるんだよ。そんな会話のやりとりをしてるんだ。これは失いたくないものなんだよ

  ちょっと驚いてしまうかもしれないが、数年前、セリーヌ・ディオンも、夫が亡くなった後も、彼と話をしていると告白している。こういう話は、変だと思われるのが恐いから他人に言わないだけで、意外と多くの人にあるもののようだ。

 こうした現象の精神医学的説明は、自分の大切な人(血縁や戸籍上の関係などの意味ではなく、深い結びつきのある人)の死という、大きな喪失体験と強い情動的なショックによって生命活動にストレス負荷がかかると、脳が故人のファントムや声を作り出すことで、ストレ スから生命を守ろうとするためだと言われている。

(そのため、多くの場合、正常化に向かうさようとなり、本人が悩む場合以外、治療は不要とされている)

 実際、ポールはいまだにジョンが殺害されたことについて考えることができず、ジョンと過ごした時間を思い出すことしかできない、これは一種の否定だと思う、と別のインタビューで答えている。

ビートルズが解散したのは二人の不仲のためだと言われているが、解散後も互いに自分の前では悪口を言わせなかったし、亡くなる前に和解したそうだ)

 じつは私も整体の師匠と話をすることがあって、分からないことを教えてもらったりする。例えば先日、健康診断で「心肥大の傾向あり」と言われた、という人の観察をしている時、心臓ではなく肝臓に手が行ってしまう、ということがあった。

 その時、ふっと迷いが生じたのだが、「手を信じろ」という先生の声が聴こえた。外側ではなく、自分の体の中から聴こえる。おとというのともまた異なる。そして、私が手で捉えたことを信じて進めると、体の状態が変わる。そんな感じだ。

 先生との対話が始まったのは、先生が亡くなった直後、私が家で頭がおかしくなりそうになっていた時だ。不意に「ここにおる、大丈夫だ」という先生の声が聴こえてきて、我に返った、というのが最初だ。

 しかし葬儀の後、私は物事にリアリティーが感じられなくなってしまい、未来とも、過去とも切り離されて、自分が宙に浮いているような感じがしていた。

 前回書いたような「死にたい」という思いではなく、死がすぐ近くにあるという気がした。当時、周囲の人からも心的に孤立していて、気力がなく、私は本当に「生命活動が低下している」状態だった。

 その時は心の中の先生の声だけが支えで、何でも先生にどうすればいいのか尋ねていた。

 だから、誰とも共有できないような喪失感と悲しみを経験したことで、脳がつくり出した声だという説も説得力があるが、私個人は、心身の状況は改善した今でも、頻度は減ったが話をすることは変わらない。

 精神医学の説では危機的状況だから(脳が作りだす虚像と)話ができるということになるが、今は心身ともに落ちついた、上虚下実の時のほうがきちんと声が聴こえる(と感じる)。

 だからといって私には何の問題も不安もないなどということは全くないし、本当の心の中だけのことだ。他人の前世も分からない。

 このブログは、「王様の耳はロバの耳」の洞穴のように、私の精神的健康という目的もあるので書いているが、名前を出しては書けないし否定されるのが恐くて、人に話したこともない。

 宗教と科学(医学)の間の問題で、どちらが正しいかという判断は難しいし、スピリチュアル整体みたいな話と混同されるのも怖い。。私のたましいが先生の声で話しているのかもしれない、と思う時もある。

 自分でもまだ結論づけることはできないけれど、ないことにはできないし、したくもない。ポールのように、「失いたくない」と思っている。

 本当のところは、私が死ぬ時まで分からないかもしれないれど、書いてみた。 

(追記)

1980年、亡くなるわずか3日前にジョン・レノンのインタビューが行われた。その最後の言葉。外国に住むと予言した占い師がいたがその通りになったという話から…

時々思うことがある。いや、本当に不思議なのは、僕らは皆夢を実現しているが、常に選択肢がある。でも、前もって決まっている宿命というものはどれほどあるのだろうか? 

いつも分岐点があって、どちらの道も等しく運命付けられているのだろうか?或いは何百という選択肢から選べる可能性もある。

しかし選択できるのはひとつだ。とても不思議だ、と時々感じる。

いいインタビューの締めだった。グッバイ、またね。

 インタビューを行ったジョナサン・コットは、1968年、ローリングストーン誌によるジョン・レノンとの初インタビューも担当した。

「Rolling Stone Japan」2010年12月23日号