アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

おっぱいとおへそ

乳房とお臍の愉気

 最近、乳房とお臍の愉気についての文章をこのブログとは別のところで書いた。乳房の愉気はもちろん女性向けで、授乳期に乳腺が痛む時に行われるものだが、普段からこの乳房の愉気を行うことをお勧めする…という内容。

 女性にとっての乳房(解剖学的に、読みはにゅうぼうで)というのは、子どもの頃のある日突然、自分のコントロール外で大きくなりはじめ、後々まで大きいだの小さいだの、同性、異性両方からいろんな価値評価を下されるという微妙な部分だ。そういう意味では男性の…に共通したところがあるような気がするが、この辺にしておこう。

授乳にしても子どもが飲むのであって、自分が飲むわけではないし、体の一部としては、わりと客観的というか、対象化された存在として感じることも多いのではないかと思う。

 著名なハリウッド女優が、ゲノム解析の結果、乳がんになる可能性が高いということで、がんになる前に乳房切除し再建手術をしたというニュースを読んだことがあるが、そういう感覚の延長線上にあるのかもしれない。私には想像するしかない感覚ではあるが。

 ただ、女性特有の臓器というのは、切らなくてもいい場合であっても切除を勧められる傾向があるのは気になるし、多くの女性がそういうことに受け身であるのはさらに気になる。

以前、個人指導に来た軽度の卵巣脳腫がある女性が、医師から「もう必要ない臓器だから」と切除を勧められたと落ち込んでいた。彼女は閉経しているけれど、「必要ない臓器」は言いすぎだと思う。

 やはり卵巣嚢腫が見つかった他の女性は、夫に「医師から、もう必要ないからと切除を勧められた」と言ったら、夫が激怒し、医師に「お前の○○も使わないんなら取っちまえ!」と言い返した…という話を聞いたことがあるが、これは感情的な問題だけではなくて、医療的にはその方ががん化の可能性が少ないとしても、臓器として揃っていること、開腹しないことは健康に生きる上で大きな相違につながるのだ。

 話はそれたが、乳房というのは、月経や排卵時、また感情的な抑圧があって胸が硬くなった時、痛んだり張ったりと緊張と弛緩のリズムが明瞭に表れるところでもある。

 見られるものとして対象化されやすい乳房ではあるが、自分で触れて状態を確かめることは、乳がんという問題とは別に、独立した大人としての身体意識、体との関係性を育てる上で大切なことだと思う。

また、この愉気によって胸椎部が広範囲に弛むので、やってみてほしい。

 それからお臍だが、これはかつて命綱であるへその緒があったところだ。お臍の愉気は、母体から分離してまだ日が浅い、赤ちゃんや子どもの病症経過を手伝う時に行う愉気法として知られている。

野口先生は赤ちゃんの活元運動誘導にも勧めていて、私も眠っている二歳ちかくの子(やや大きい赤ちゃん)にやってみたことがある。

 その時、眠りが浅かったこともあり、その子は寝たまま活発に活元運動をして、治まったらすーっと呼吸が深くなり、熟睡に入っていった。最初に手が行って、異常感があったのは肝臓のある位置だったが、活元運動はお臍がいいようだ。

 大人にとっても、お臍は内臓の状態を表現し、お臍の愉気でぎっくり腰が良くなることもある。大人には鳩尾の愉気が勧められることが多いように思うが、私は「自分の中のこどもに手を当てる」という意味も含め、お臍の愉気も併せて勧めたい。でも、大人の活元運動の誘導は、頭の愉気の方がいいかもしれない。

 人間は、面倒を見てもらうよりほかない状態で生まれてきて、ほかの動物より独立するのに時間がかかるし、脳と体、全体がバランスよく、滞りなく発達するのも難しいし、大人とはどういうことかの定義も、時代によって変化する。

 でも、自分で自分の感情を鎮めて落ちつくことができること(対人関係のためというより健康を保つために)、自分の体のめんどうを自分で見ることができること、は基本要件と言える。それから、闘い、行動する勇気を持つこと、自分と違う他者の存在を受け入れることかな。しかし、最初の二つができない人のなんと多いことだろう。

 自分に対する愉気はそのための修行であり、全体的な成長から取り残された発達の滞りを、成長させていくこともできる。

 愉気法と言うと、人にやってあげたいという人が多いが、その前に自分の心と体に手を当ててみてほしい。

 今回、ちょっとオトナ向けだったかな…。

補足

 乳房の愉気は、右側は左手、左側は右手で脇から少し持ち上げるようにすると良い。