自分が変われば世界は変わる
人間は楽々悠々生きていることが自然だ。
むずかしいことを敢えてやりたくなり、苦しいことを敢えて耐える時は、そのことをその要求するが如く行なえ。苦しいこと、むずかしいことに取り組んでいる中にも、快があることを見出すに相違ない。
いつどんな時に於ても、楽々悠々息していることが、人間の自然というものだ。
苦しんでいることと、楽しんでいることは違う。
だから、苦しいことを楽しむなんて無理だという人がある。
しかし、雪の山道を重荷を負うて登ることは苦しいが、その雪の山道を楽しんで登る人もある。
その人々は重いスキーの道具を軽々と肩にしてゆく。
だから苦しい楽しいは心にある。
働かされることは辛いが、働いていることは楽しい。
だから働かされているつもりにならないで、自発的に働くことが肝腎である。
冷たい水でも、浴びせられれば風邪をひくが、自発的に浴びれば風邪をひかない。
めしでも食えなければ餓死するが、食わなければ断食して、丈夫になる。
まず自分から動くことだ。自分から出発することだ。
しかしその意欲も、背骨が弱いと生じない。
脊髄へ息を通すと自発的に動きだし、世界は為に一新する。
この世にどんなことが起ころうと、どんな時にもいつも楽々悠々息しつづけよう。
そしてこの心ができた瞬間から、小鳥は楽しくさえずり、花は嬉しそうに咲き、風は爽やかに吹きすぎる。
雪は白く、空は蒼い。
黒い雲のむこうはいつも蒼い。
世界が変わったのではない。自分が変わったのである。
自分が変われば世界は変わる。
自分の世界の中心はあく迄も自分であり、自分以外の誰もが動かせないものなのだ。
自分がこの心を持ちつづける限り、この世はいささかも変わらない。
なんと楽しいことではないか。
自分の欲する方向に心を向けさえすれば、欲する如く移り変わる。
人生は素晴らしい。いつも新鮮だ。いつも活き活きしている。
大きな息をしよう。背骨を伸ばそう。
『風声明語』(全生社)より