アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

感染症と時代―新型コロナウイルスの意味すること

 私の住む地域には、在日米軍の家族が住む居住区があって、普段はアメリカ人の家族がのんびり居住区の外を歩いていて、英語のおしゃべりが聴こえる。しかし今、アメリカ人の姿は全くない。

 沖縄(コザなど)では米軍キャンプで外出禁止令が出ることを「オフリミットoff limit」と言うが、本土では敗戦直後、連合軍専用の歓楽街やホテルなどを「オフリミット」と呼んでいたので、「日本人立ち入り禁止=オフリミット」の意味で使われることがある。

 しかし米軍内では、米軍関係者の出入り禁止区域のことをオフリミットと言うようだ。GHQ占領下でオフリミットがあったのは感染症対策だったそうだが、現在も同じ理由(covid-19)でオフリミットが出ているのかもしれない。

 私はどういうわけか、わりと感染症には縁があって、中国の雲南省に滞在していた時、雲南省鳥インフルエンザの発生地になった。

 当初、省内では鳥インフルエンザではなくペストだと報道され、新聞に「黒死病(ペスト)」と大きく書かれているのを見た時は多少どきりとしたものだ。中世ヨーロッパの伝染病が今もあるのかと思った。

 その後、野口整体の先生に入門してからは、住んでいた市内の公園でデング熱のウイルスを持った蚊が発見され、大騒ぎになったことがある。そして今度の新型コロナウイルスでは、私の住む市の総合病院で国内初の感染による死亡者が出た。どういうめぐりあわせなのかな…。そういえば私の師匠も50代で麻疹(はしか)にかかったのだった(自然経過した)。ついパンデミックには興味を持ってしまう。

 それはともかく、私の敬愛する医療史家の故・立川昭二(整体協会の柳田先生の指導を受けていた)は『病気の社会史』で、近代初頭に起きたコレラやスペインインフルエンザ、結核などパンデミックを起こした感染症について次のように述べている。 

歴史の「進歩」と病気

…伝染病には文明抵抗性ともいうべきものがあり、文明度のレベルに応じて、それは消化器から呼吸器へ、さらにポリオなどのように脳へと次第に下から上へと押し上げられていった。

結核コレラは文明国から地上の別の地域に追われたが、そこで今日なおこれまで以上の惨禍を繰り返している。そして文明国では、ガンや心臓病、それに精神病・公害病が、悪疫の奢りをほしいままにしている。

  そして、私の住む市の総合病院の報告書では次のような報告がある。

病状観察上重要と思われたことは、case 2(71歳男性・初期胃がんの術後院内で感染、肺炎になるが恢復) において発症と同時に、不穏、見当識障害を顕著に認めたことである。…酸素化のためのマスクを拒 絶する抵抗や、徘徊、見当識障害を示し、COVID-19が脳炎を誘発している可能性は否定できない。…コロナウイルス群は、肺のみならず各種臓器障害として、腎、肝、心臓に加え神経組織にも及ぶ可能性が考えられた。

 その後、3月7日に山梨県で20代男性が、日本で初めて新型コロナウイルス髄膜炎(脳と脊髄を包む膜の炎症)と診断され、北京でも新型肺炎患者の脳脊髄液から新型コロナウイルスが検出され、中枢神経系への侵入例として注目されているという。

 呼吸器から脳へと上がっていくという経過は、前回述べたスペインインフルエンザ流行時に発見された野口整体操法「鎖骨窩の愉気」の目的にも合致している。なぜ、野口先生にはこういうことが分かったのだろうと思わずにはいられない。

 きっと先生は、まず最初に「これだ」と直観することがあって、説明は後からついてくるものなのだろうとは思うが、質問してみたくなる。「自分の親知らずが生えるのも分からないようでは無理」と皮肉を言われるかな…。

 立川先生の「文明抵抗性」という指摘も鋭い。今は時代の転換期だと言われ、こうしなければ時代に取り残される、生き残れないということがさかんに言われているが、このパンデミックでそれが沙汰やみになっているようにも見える。まるで時間が止まってしまったようだ。

 スペインインフルエンザ流行の時代は第一次世界大戦中で、人類が初めて経験した近代戦が泥沼化していた。インフルエンザが戦争終結を早めたとも言われ、その後、第二次大戦へ向かう下地ができたのだった。

 私たちは、これから押し流されていこうとしている方向に、無意識に抵抗しているのだろうか。世界を覆っている集団心理としての恐怖と不安の奥には、何があるのだろう。今、野口先生が生きていたら、何と言うだろうか。

 以上、整体馬鹿のひとり言でした。