アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

技術を使う心 4

技術を使う心

野口晴哉

『月刊全生』昭和40年5月号 広島講習伝授会記録

  それには体をつかう筋道や、心をつかう筋道を明らかにし、人間がその持っている体や心を自由につかえる方法を知らなくてはならない。

 人間の心というものは可笑しなもので、自分の心というものは自由に出来ない。こんなところで怒っては損だと思っていても怒ってしまう。泣くまいと思っていると涙が出てくる。自分の体だって自由に出来ない。もう少し胃袋を働かせようときばったって胃袋は働かない。ところが恥かしいと思うと顔が赤くなる。嫌やな人が傍に来ただけで食欲がなくなる。だから意志では自由には出来ないが、感情では出来る。空想では出来る。

 意識でどんなに顔を赤くしようとしても赤くならないが、十年前のことでも恥かしかったことを想い出すと、顔が赤くなる。この間多摩川で強盗におそわれた人が、私の所に参りまして顔を蒼くしてその時のことを話しておりました。「強盗におそわれたのは昨日のことでしょ。僕が強盗のわけじゃないんだから今そんなに顔を蒼くしなくてもよかろうじゃないか」といったのですが、彼女は蒼くなって震えながら話をしておりました。つまり実感があったんですネ。怖いと思ってる間は顔が蒼くなる。恥かしいという感じがある間は赤くなる。

 だから人間の心や体は自由に出来ないということのうしろには、自由にする方法を知らないということがあります。「胃袋よ働け」といったって、胃袋は働かない。だけども愉快だったらお腹が空いてくる。自分の好きな人のにぎってくれたにぎり飯なら美味い。御飯の中に蠅が一匹入っていたって食欲がなくなる。食欲がなくなるということは、胃袋の働きを抑えたことになる。

 だから意志では自由にできないが、空想とか感情とかいうものを使えば自由に働かせることができる。とすると、自由に動かせるはずの心や体を、今迄は意識というものにだけ、あるいは意志とか努力とかいうものだけ求めていたから、自由にできなかったのだということができる。だから方法さえ得れば、体も心も自由になるはずである。つまり方法を知らなかった為に、無知であった為に、自分の心や体をマスター出来なかっただけで、自由に出来ないと思い込んでいること自体が違う。

 こういう心や体をつかう筋道を知らせるつもりで、私は整体指導ということを掲げてやっているのであります。ですから、みなさんも整体操法の技術をこの心にそってお使い願いたい。肩がこったらもんであげましょう、下痢したらとめてあげます。お腹が痛ければ治してあげます、というような清掃管理人のまねはしないようにして頂きたい。もっと指導的立場をハッキリと自覚して、その立場に立って整体指導をやって頂きたいと思います。

 

 それからもう一つ、今回の講座では、私はみなさんの頭に話しかけることをやめまして、指で憶えて頂くために実習を多くしました。本当は東京の五の日講習で教えて効果をあげてきました指の訓練法をみなさん方にも毎回やって頂きたかったのですが会場の関係で実現できませんでした。

 それで私の希望は、みなさん方がお帰りになったら、毎朝一回でいゝから、判っても判らなくてもいゝ、練習して頂きたい。見つけようなんて気張らないで、スーッと触っていく。意識や意志をこらして調べようとするとかえってわからなくなることが多い。ただ注意することは、一週間続けたら十日は休む。二日でも三日でもよい、休む期間を長くする。そうすると休むことによって指の感覚は進歩する。

 意識的集中によって憶えたことは、集中をやめるとすぐに忘れてしまう。ところが何気なくスーッと触っていくというように潜在意識を通して体に憶え込ませたことは休むことによってその期間中に進歩する。これをしばらくお続けになると、努力しないでやったことの効果がお判りになることと思う。