アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

技術を使う心 1

 今日から「整体指導とは何か」の集中講義を始めます!

 といっても、野口晴哉先生の講義の引き写しなのだが、野口整体とは何かを雄弁に語る内容なので、もっともっといろんな人に、整体を知っている人も知らない人も、野口整体ってなんか変?と思う人にも読んでほしいと思い、upすることにした。

 これは私が入門して、一年ほどたった時に読み感動した記事で、これまで、折れそうになったり、迷ったり弱気になったりした時に、何度もこれを読んできたが、その度に初心を取り戻させてくれたものだ。

 それでは第一回目、始めます。

技術を使う心

野口晴哉

『月刊全生』昭和40年5月号 広島講習伝授会記録

 昨年の初等講習では活元運動や整体体操についてお話ししましたので、今年の初等講習では整体操法の「型」とでもいう可きもの、つまりやり方を説明して参りましたが、方法は会得したがそれを全体としてどう使うかという運用面についてはまだお話ししておりませんでしたので、今日は伝授会の筈ですが、この時間を利用して講習会の補足に当てたいと思います。

 

 人間が手で体を押さえるということは知識的な行為というより本能的なもので、例えば怪我をすれば思わず押え、お腹が痛ければお腹を押えるというように、思わず押えてしまう。これは世界中どこの国でも同じことで、押える理由を知って押えているのではない。知識以前の反射行動であり、本能的な要求によって無意識にやっていることである。痒いところを掻くのだって、みんな無意識にやっている。掻くと痒みのとれる理由を理解しての行為ではない。けれども痒いと思わず掻いてしまう。何か体に異常感があると手を当てる。まァそういうことが手当てという言葉の残っている理由だろうと思うのであります。

 ところが近頃のように生活が複雑になって頭が忙しくなってくると、異常を感じるということが外に気をとられて鈍くなってしまう。その結果、単に手を当てるだけでは治らないところ迄行って、はじめて異常だと自覚するようになってしまっている。

   

 ですから、人間が原始の頃のような心をもって体を使っておれば、つまり敏感な状態に戻しさえすれば、手を当てるだけで異常を経過するということが可能になる。そういうような異常に敏感な状態を保って生活することが今の人には特に大切な体の使い方ではなかろうかと、そう考えるのであります。

 では、異常があれば手を当てるだけで治るような体にするにはどうしたらいゝかというと、体が鈍った状態のまゝではまずい又体が鈍ってなくとも、心がよそ見をしたまゝではやはり体が鈍ったのと同じ状態になる。

 だから潜在意識の方向を正し、いろんな生活のために生じた体の歪みを正し、それによっていつも敏感な状態を保つように、整体操法とか、整体体操とか、活元運動とかいうものを行っているならば、いつでも敏感な体を保てる。そうすれば異常があったら手を当てるだけでいい。出来れば何もしなくとも健康を保てるような体にしたい。

 つまり異常感に敏感な、そうして異常を感じると一緒に自づと整っていくような体を保って生きたい。そういう体をつくってゆくことに、自然に具っている手を使うということを積極的に活かすにはどうしたらいゝかということが、整体操法のうまれた理由でありまして、昨日までお話ししましたことはそういう整体をつくっていく技術であると、先ずそうお考え願いたい。

 そうすると、生活するのに大事なことは体を敏感にし、その体自体のはたらきで生きていくことであることがお判りになる。今迄のように病気になるごとに体を鈍くし病気になるごとに片輪になり、又いろいろ工夫して病気に鈍感になるような方法が採用されているようでは、人間はだんだん鈍さをますより他ない。

 まして最近のように治すということが体のどこかを傷つけることによって行なわれているのでは、とても敏感な体は保てない。だから整体協会の仕事は、人間の自然の体を護ろうとする運動だというようにお考えになったら、もっと判り易いかもしれない。

…つづく