これは、私が大学一年時、陶芸をやりはじめた頃、国吉清尚(くによしせいしょう)という沖縄の作家の窯を訪ねた時のことだ。
当時、国吉さんは、銀座で個展をする沖縄では数少ない現代作家だった。しかし、国吉さんは無教養な子どもでしかない私に、「今の作家が作った器なんか見ててもつまんないよ」と言い、近くの浜につれていって、自然の中で、貝とか石とかいろんなものを見て、美しさを自分で見つけられるようになりなさい、と教えてくれた。
そして、古いもの、江戸時代より前のものを見ること、それもヘソを見るものに向けて、ひとつになるつもりで見なさい、と言った。
そうしていると、美しいものがどんな時でも、どんなところでも目に入ってくるようになるのだという。
私は厚かましくも一泊させて頂き、国吉さんは最後に、「これはちょっと灰と貝がくっつきすぎて売り物にはならないけど、気に入っている」というぐい呑みをくれた。
そして、穴窯を私に見せながら、「窯を焚いていると一緒に自分の雑念も燃えるような気がする。つくったものも、自分の我が消えて浄化されるんだ」という話をしてくれた。
国吉さんはもう亡くなったが、あの時、教えてもらったことは、その後、私に深い影響を与え、ずっと忘れずに守り続けた。そして、私の心の核となっていった。それが本当に私の助けとなってくれたのは、整体の先生ががんであることを知ってから以降のことだった。
先生は自身が癌であることを誰にも告げずに亡くなった。それは、体調のすぐれない先生が病院に決して行こうとしないことに対して、周囲から次第に批判の目が向けられるようになっていったことが背景にある。
そのことを先生は私に言うことはなかったが、私はそれを薄々感じ、私がいるせいだという声もあることに気づいていた。そして先生も苦しみ、私も苦しんでいた。一番苦しかったのは、先生の体と病症に向き合うことではなく、そういう周囲の眼であったと思う。
そんな中、私を支え続けたのは、道場のトイレと指導室に、野の花を活けることだった。それ以前にもたまに活けることはあったが、私は亡くなる二年半前から、それを自分に課すことにした。
それも花は一切買わないで、自然にあるものだけを使うことにした。幸い道場の周囲は自然が多かったが、活けられるものはそれほどあるわけではない。 しかし、それを見出せる状態を保つことができれば、私は先生に愉気をすることができると思ったのだ。
美しいものが自然に目に入ってくること、それが私にとって、正心正体であることの基準だった。
すると不思議なことに、冬でも梅雨でも、いつも活けるものは見つかった。まるで「ここだよ」と自己主張しているように見えたのだ。においのあるものを使ってしまって叱られたこともあったが、先生はことに、赤い藪椿と黄色の黄藤、椿の濃い緑の葉の取り合わせを喜んでくれた。
先生は山野草が好きで、自分でも花を採ることあって、白い椿のつぼみに手をかざして咲こうとする勢い(気)を感じることを教えてくれたことがある。亡くなって数か月後、「野口整体を愉しむ」という、野口晴哉先生の講義内容を紹介するブログを読んでいたら、野口先生が同じことを講義で言っている記述があり、非常に驚き、思わず涙がこぼれたことがあった。
なんだかとりとめのない思い出話になってしまったが、英語にもbeautiful something(something beautifulだったかな?)という言い方があって、心や生命のもつ光や輝きのことを意味すると聞いたことがある。有名なSence of wonderというのも、これに近い感覚だろうか。
「人生は楽々、悠々、すらすら行動すべきである」と野口先生は言う。私もそうしたいけれど、生きていると、孤独な時もあるし辛い時もある。そういう時でも、美しい何かが観えるのならば、私は整体なのだと思っている。