アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

意識化のもつ力と宗教性


 意識化の持つ力と宗教性

 以前、私は動物の生態についてのドキュメンタリー番組で、チンパンジーの群れで子殺しをし、その子どもの肉を食べるというシーンを見たことがある。
 群れが一様に興奮状態に陥り、攻撃性が暴発して一頭の子どもを殺し、食べることで興奮が頂点に達すると次第に静まって、もとの群れに戻る。この行動には個体数調整と、エネルギー調整の意味があると考えられている。
 こういう時、おそらくチンパンジーたちは自分たちが何をしているのかを知ることはないし、母親に対しても特別な感情を持つことはないのだろう。集団的な情動が波のように高まり、その暴力的エネルギーが鬱散された後は何事もなかったかのようだった。


チンパンジーに限らず、多くの動物は、暴力的な衝動・情動を意識化したり、情動に駆り立てられた結果の自分の行為を反省することはあまりないようだ。
 戦時下などの非常事態や洗脳などで、集団心理に飲み込まれて破壊や暴力を行う時は、人間もあまり反省しない場合が多い。いじめなどに歯止めが利かないのも、いじめる側に感情の抑圧があるのと同時に、脅迫的な同調圧力があるからだろう。
 ただ、動物行動学者のローレンツは、多くの群れに生きる動物で、牙や鋭い嘴などの攻撃能力を持っている動物は、同種間の暴力に対する歯止めを本能の中に持っているという。犬や狼は、相手にお腹を見せられると、怒りは収まらなくても攻撃が行動にならなくなる。
 いつか見たテレビ番組では、オス同士のゴリラも、威嚇の「型」を見せ合うことで直接対決をできるだけ避けていた。しかしウサギなどの弱い動物は、暴力の制御がなく、相手が死ぬまで攻撃衝動が止まない。ローレンツは「人間はどうなのだろうか?」と問いかけている。
 ともかく、人間以外の生命は、気づきの能力がなくても生命維持にそれほど困らないように見える。

 集団心理を離れた、個としての人間だけが、情動と自身の行動の意識化を行う。それはなぜなのだろう。しかも、反省することで正気に戻ったり、緊張で偏っていた体までが弛んで健康を取り戻す。さらにはそれを繰り返すことで情動のコントロール力を高めたりすることができる。
 この能力は、人間だけが持っているものなのかどうかは分からないが、人間はそれがないと内的な統合性を保てない。情動の支配から自分を取り戻すことと統合性を保つことは、私たちが生命の正常性を保ち続ける上での命綱ともいえるものだ。
 情動的興奮を知覚するだけではなく、その意味を理解し感情という心の体験に変えていくことが、人間には必要不可欠なことらしい。人間の自然の中には、情動を意識化していくことがすでに織り込まれているかのように思える。
 また人間は、自分が経験した様々な出来事を、単に思い出すだけではなく、それを通して過去の自分と現在の自分を対比させたり、あるいは過去から現在まで変わらぬ自己像を確認したり、複数の出来事を結びつけて解釈したり、過去経験から何らかの洞察や教訓を引き出したりする。こうして自分の物語を紡ぎだす。それは生きる上での行動指針ともなる。
 こうした思考過程は自伝的推論と呼ばれる。自伝的推論の意味するところは広いが、その中心にあるのは、過去の出来事と自己を 結びつける内省的な思考だ。
 こうした気づきの能力と、内省的な思考は、個人のストレス耐性の高さに深く関わっていて、人間が健康を保つ上での重要な機能である。
 人間の持つこのような心の働きが、宗教性の原点にあるのではないだろうか。こうした過程が魂への通路ともなることは、シュタイナー、ユングを始めさまざまな人が説いており、東洋(特に仏教的な瞑想)にも通じる普遍性がある。そして、野口整体の潜在意識教育も同様だ。
 ユングは、意識化の能力が「人間」という種が存在する意味だというが、それはまだ私には実感として分からない。確かに、人間さえいなければ、地球はさぞ平和で美しい世界だろうに、何のために人間がいるのかなとは思う。人間は同種で殺し合いをし、他の動物の餌にもならない。
 それにしても、人間て不思議な生き物だと思う。その中でも、こんなこと考えている私という個体は、ふしぎ度高いのかな…。

 夏がもうすぐ終わる。そろそろ、飲み物、食べ物は温かいものにしていこう。お気に入りの水出しコーヒーと冷凍バナナもそろそろ終わり。

 

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ゴリラの心情の能力が高いのは、サルの仲間にしては骨盤部が発達しているからではないだろうか。