アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

思いがけない贈り物

シュタイナーの神智学(人智学)

  先日、友人から本のプレゼントを頂いた。タイトルは『神智学の門前にて』、シュタイナー教育で有名な、R・シュタイナーの霊学入門という本だ。

それも偶然、他の友人から「同級生のひとりに、ドイツでシュタイナーの人智学を学ん で帰ってきた人がいる」という話を聞いて、帰ってきたら郵便受けにこの本が入っていた!

 これまで、本を下さった人とシュタイナーは結び付かなかったのだが、意外な人が意外な関心を持っているものだ。

 私は昔、子どもの本とヨーロッパのおもちゃの店で働いていたことがあるのだが、そこではシュタイナー教育関連の書籍とおもちゃの取り扱い、また人形作りや音楽のワークショップなどがあり、聞きかじり程度のことには触れる機会があった。

 ただ、これは「整体式子育て」も同様なのだけれど、日本でシュタイナー教育に熱中しているお母さんというのは教条主義的危うさを感じさせる人もいて、私は人智学(神智学)の方まで関心をもつには至らなかった。少々引いていたのだと思う。

 しかしその頃すでにアメリカでは、良い家庭の子どもはシュタイナーかモンテッソーリの幼稚園・小学校に入れるのが一般的になり、特にシュタイナーは多いという話だった。

 その後、整体を始める頃に出会った人(整体をやっている)の中にも、奥さんたっての希望で子どもをシュタイナー学校(神奈川)に通わせている人がいて、「授業内容がぶっとんでいる」という話を聞いたことがある。

 振り返ると、今の日本の教育というのは、世界的に相当遅れているのかもしれない。先日、ある私立小学校で役員を務める人の話を聞いたが、今もなお、親も学校も一生懸命勉強(受験のための)をさせることが教育だと考えているようだった。

 今回、本を読んで「ぶっとんでいる」と言った人の意味する所(たぶん宇宙史など)も分かったが、シュタイナーの人間の発達に対する考え方を知り、その思いを強くした。

 頂いた本の主題は、いわゆるシュタイナー教育ではなく、霊学(神智学)が主題となっている。こういうところから「なぜそうするのか」を理解しないと、シュタイナー教育も方法論的になってしまうだろうな、と思った。

 また、野口整体は「脳と運動系」という基礎研究に基づくものではあるけれど、潜在意識教育などその多くは野口晴哉先生の霊学(玄学)を基礎にしている。それは「気」という東洋的なものが主体となっているが、この本を読んで、西洋の霊学も含まれているのではないかと思った。

 第一次大戦前後の日本には、西洋とほぼ同時代的に、近代知はもちろん、代替療法スピリチュアリズムなどが入ってきていたのだから、野口先生がそれを吸収しなかったという方が不自然だろう。

 最後になるが、この『神智学の門前にて』という本の中で、霊的発展の過程として東洋の修行法、キリスト教の修行法、現代(薔薇十字)の修行法の三つが述べられていることが特に心に残っている。整体のこれからを考えるよい機会になった。

 霊的な目覚めに至る過程などは省略し、導師との関係性という点から簡潔にまとめてみた。

 

1 東洋の修行法―生きている人間が導師であり、自己を滅却し導師にすべてをゆだねるとき、最もよく進化する。

2 キリスト教グノーシスの修行―生きている人間を導師とせず、イエス・キリストとひとつになろうとする。しかし、地上の導師を通してキリストに導かれなければならない(カトリックは導師個人より「教会」という組織・集団に重きを置く)。

3 薔薇十字(神智学)の修行法―導師は助言者となり、修行者は最も独立している。修行者がなにを内的に行うべきかについて教示を与え、霊的修行とともに確かな思考の発展を育成する。科学の基盤に立ち、科学のために信仰に疑いを持っている人に適している。 修行の本質は、現状の小さな自己から、まだ知らぬ大きな自己までを含む真の自己認識にあり、導師は友に近い。

 

 これまで私は、間違いなく「東洋の修行法」的だった。これは、私の潜在意識に不信と不安が根深くあって、感受性の歪みとなっていたことによる。私には先生を(理想化ではなく、素のまま、時に腹を立てながら)信頼することと、裸の自分に対する信頼を養うことはひとつだった。

 そして思い切って言うと、今の野口整体のあり方は、「キリスト教グノーシスの修行」的傾向にあるのではないだろうか(集団帰属心理に重きを置く場合はカトリック的ともいえる。ちなみに私が最も避けたいのはこの道筋だが、これ以上は言わないでおこう…)。

 指導者にもよるが、整体指導で身心共に関与する度合いが深い場合、東洋と薔薇十字的修行の両輪で行くのがいいのではないだろうか。やはり、自分の中に意識できない自分が良い意味でも悪い意味でもあるのだから、謙虚になること、指導者に心を開く(信頼する)ことは感応道交のために必要だと思う。

 しかし、治療的段階から体育(教育)の段階へ移行する際には、なぜそうするのか、何が大切なのかという整体の思想や理念を教える必要があるので、薔薇十字的?修行のあり方は良い面がある。どうも日本では先生の「ご指導」を請うばかりで、困ったときに自分で判断したり考えたりというのが薄れていく傾向があるので、学ぶべきことはあるだろう。

 この本はその他の内容も、今、自分の興味ある分野にピッタリで、お礼のメールを出すのも忘れ、夢中になって読んだ。でも、おそらくプレゼントされなければ読むことがなかっただろう。友人に心から感謝したい。ありがとう!

 

(註)神智学

神智学協会は、1875年「古今東西の宗教・哲学・科学の研究を促進すること」などを目的としアメリカで発足した。東洋思想に大きな影響を受けている。シュタイナーは1902~1912年まで神智学協会に所属していたが、神智学協会がクリシュナムルティを救世主とする宗教運動に変質しようとしたことで離脱し、アントロポゾフィー人智学)協会を設立した。

(註)モンテッソーリ教育

20世紀初頭にマリア・モンテッソーリによって考案された教育法。モンテッソーリは観察により、人間の発達における四つの異なる期間(あるいは段階)を見出した。それぞれ、出生~6歳、6~12歳、12~18歳、18~24歳とする。モンテッソーリは、各段階に異なる特徴、学習モード、活発な発達欲求があると考え、それぞれの段階に特有の教育的アプローチを求めた。