アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

活元運動と霊動法

霊学ワンダーランド

  私は高校生ぐらいのときから、日本の古代神話や神道、民間伝承などに非常に興味があって、学生のころは上代文学(古事記日本書紀万葉集など)を専攻していた。

 後に野口整体を学ぶようになって、野口先生が霊学の大家、松本道別(ちわき)の弟子だったことを知ったのだが(詳細は霊療術聖典について書いたブログ参照)、つい最近、私の郷里に、松本道別の師がいたことを知った。

 それは、長沢雄楯(かつたて)という月見里笠森稲荷神社の宮司であった人で、大本教出口王仁三郎も長沢の弟子だった。戦前、こういう霊学や宗教が盛んだった時代があって、当時この地域は「魔教の巣窟」などと言われたらしい。

 野口先生は「地球の回る音がうるさいといった宗教家がいた」と言っているが、それは出口王仁三郎のことで、岡田茂吉(MOA創始者)にも愉気を教えたというから、神道系の宗教家とのつながりは意外と濃かったのだろう。

 長沢の師は本田親徳という幕末の神道家で、近代に入って様々な流派が起こる霊学と鎮魂帰人法の主流となった「本田霊学」を起こした。

この鎮魂帰人法の中心にあるのが「霊動法」、活元運動の元となった行法である。

 鎮魂帰人法では、霊動法による祓い清めとともに、スサノオノミコトオオクニヌシノミコトなどの神が依り付き、お告げを聞く(審神者・さにわという)ということもやっていて、人によって良い霊がついたり悪い霊がついたりすると考えられていた。

 それを自分の霊(魂)のはたらきであるとしたのが松本道別で、その弟子、野口晴哉先生はより思想的、近代的に再編したということができる。

 それにしても、私の郷里にそんな人がいたなんて全然知らなかったので、感慨深かった。そういえば私の祖父は秋葉山修験道に関わっていたけれど、小さかった私には「じいちゃんの神さんはお日様だ」と言っていた。

今思うと、太陽が神というのは非常に神道的で、もしかしたら長沢雄楯にも関係していたのでは?と想像をたくましくしてしまう。

 それはともかく、大工の神、機織の神、鍛冶の神など、各職域に神様がそれぞれいて、神様のいる場で仕事をするというのは本当に美しい伝統だと思う。匠の技とは、神様と一緒に仕事をしている職人の、まさに「神業」なのだ。

 亡くなった私の整体の先生の話では、野口先生が存命の頃は、「我が如くあれ」という無言の教育があったという。やはり野口先生そのものが「御体」だったので、指導の場は「聖なるもの」とともにあるという共通感覚があったようだ。

 野口先生は、「神様は人間が謙虚であるために必要なもの」と言った。活元運動は、霊動法から宗教色と神秘色を抜き去り、近代により適応する形で再構築されたものだ。しかし、現代の私たちには、既存の宗教という枠組みを超えて、人間に魂が実在することを確かめるという意味があってもいいのではないだろうか。

 これからは、活元運動の「穢れを祓い、霊性を感得する行法」という神秘的側面を思い出すのが、必要な時代になるのかもしれない。