アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

疳の虫

子どもの「おなか痛い」が表現するのは 

 私は小さい時、すぐ「おなか痛い」という子だった。子どもの「おなか痛い」は、「いや!」「さみしい・・・」「こうしたかったのに・・・」など様々なことを表現しているのだが、私の場合は体癖的に「いや!」が激しいのに、それが表現できないのがたまると「おなかが痛い」になる傾向があったのだと思う。

 小学校低学年の頃だったか、前後関係があまり思い出せないのだが、その日、母はどこかに出かけようとしていた。私はその都合で母の実家に預けられることになり、何か自分のやりたかったことができないという事態になった。それに、そのこと以前から「いや」が溜まっていたような気がする。

 そして私の「おなか痛い」が始まった。そこで母は私を実家の近くの内科に連れて行く段取りをつけ、私は嫌々出かけることになった。

 以前にも書いたが、母の実家の祖父は秋葉山に行っていた人で、私が行くことになったのは、祖父の知り合いの古い病院だった。

 母の強引さに腹を立てていた私だったが、大好きな祖父に会うのはうれしかった。

 連れていかれた病院は、おそらく戦前の建物で、重い木の扉を開けると薄暗い廊下の左手に受付、右手に待合室があった。待合室は明るい畳の和室で、お腹の大きい女の人からお年寄り、男の人に子どもといろんな人で混みあっていた。

 母に「いっぱい待つの?」と聞くと、私が診てもらうのは老先生で、皆が待っているのは若先生だから、それほどでもないと言う。その通り、私の順番はすぐに回ってきた。

 私は一人で古い建物の薄暗い廊下を通り、老先生の診察室に入った。診察室は明るくて、老先生は私を見るとすぐに「おまえは○ちゃん(祖父の名)の孫か」と言った。

私が「はい」と言うと、先生は小さな丸椅子に私を座らせた。今思うと、それまで診察の時はいつも母がいたので、私が一人で医師の診察を受けた初めての時だったのだと思う。初めて会ったのに懐かしい感じのする人だった。

老先生は聴診器を当てながら「どうしたんだ」と聞き、私は「おなかが痛い」と答えた。

 先生は私を診察台に上がらせ(高くて手伝ってもらった)、お腹の触診を始めた。先生の温かい手がお腹に触れると、私はお腹が痛かったのなんかどこかに行ってしまったような気がした。

 先生は私を全く子ども扱いせず、「いつから痛いのか」「どういう風に痛いのか、しくしくか、ずきずきか」、また「ここは押えると痛いか」などと次々と質問し、私は一生懸命答えた。医師に自分でこんなに説明するのは初めてだった。

 すると不意に先生は「今、お腹痛いか?」と聞いた。私は虚を突かれてしばらく黙ってから「・・・痛くない」と言った。

 すると先生はぱっと手を離し、笑って「これで今日はおしまい!お薬は、なし!」と言った。私はあっけにとられ、そのまま外に出た。本当に薬の処方はなく、私は母と病院を後にした。

 母はそのまま私を置いて出かけ、祖父は私に会うとすぐに「どうだったんだ」と私に聞いた。私は祖父に老先生の診察のことを話し、「お薬はなし、って言った」と最後に言った。

 すると祖父は笑って「お前には疳の虫がいるからな」と言った。

 疳の虫・・・。何のことだか分からなかったが、祖父はそれ以上何も言わなかった。

 今思うと、この気の転換の技術、老先生は「玄人」である。西洋医学の医師にも、こういう人がいたのだ。そして祖父も、なかなかの曲者だ。野口晴哉先生の足元にも及ばないけれど、日常の裏側に、こういう心の世界があることを知っている大人って、ほんとうに素敵だと思う。でも、今の日本では絶滅危惧種になっている。

 このところ、成育歴のことを書いているが、私の祖父も、整体の先生も、そして野口先生も、子ども時代がしあわせそのもの、というわけではなかった。

 しかし、「黒い雲の向こうはいつも蒼い」と野口先生が言うように、そういう自分を超えた時、「自分には何も問題ない」と思って生きている人には分からない心の世界が観えてくる。気の世界が開けてくるのだ。東洋的心の自由と言ってもいいかもしれない。

 そして、「疳の虫」がいる私の孤独に、幾度も気づいてくれたのは、そういう祖父の心の眼だった。

 整体の先生が亡くなって、一年が過ぎた。先生はいつか、「野口先生がじぃーっと自分を見た時の眼が、自分の心の中を観る眼になった。自分はその眼で相手を観ている」と言った。そして、いつも野口先生が、じぃーっと自分を観ている気がすると言った。

 死の方から自分を観ている眼というのは、ほんとうの心だけを観ている透明な視線が、自分に注がれているということだ。先生が亡くなって一年。私も先生の死後、その眼が自分を観ていることに気づいた。私の中心をはずさないその眼が、これからも私の支えになって行くのだと思う。

疳の虫 大阪小児科医会HPによると「現代では、夜泣きやかんしゃくなど、主に子どもの心の緊張状態を表す言葉として使われることがほとんど。これらの状態は大体生後6~8か月に最も多くみられる。」とあった。ちょうどこの頃、私は母の入院で父方・母方の実家に預けられていたが、関係あるのだろうか?