アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

死生観をもつ―死についての対話 1

 死生観をもつ

 今年の始めごろ、落合陽一氏と古市憲寿氏が行った対談(『文學界文藝春秋)で、後期高齢者の終末期医療の問題について語った内容が批判を浴びるという出来事があったという。先日、その記事を今頃になって読む機会があった。

「医療費削減のため、後期高齢者の終末期医療は保険適用外に」といった発言が問題になったようだ。もう終わった話ではあるが、こういうことはもっと別の次元で、個人が、自分で考えることではないかと思う。この二人も「自分はどういう選択をするか」を含めて発言する方が良いと思った。

 病院による違いはあるが、 少なくとも今、現場でどうするかは医師がすべて決めるのではない。自分か身近な人が決断しなくてはならないのだ。

 ユングは30代後半を「人生の午後三時」と呼び、老いや死が自分と無縁でないことを意識し、内面に向かう傾向が出てくる年代だと言った。今は精神年齢が若い(幼い?)から、40代後半かもしれない。

 またユングは、「人は(特に老人は)死についての神話をもたねばならない」と言う。これは日本で言えば死生観を持つことだ。

 以前に少し書いたことがあるが、私は88才男性の整体指導をしていた時がある。

 その人(Oさん)がある時、井深大ソニー創始者)氏が自身の死生観について、「母なる宇宙のもとへ帰る」と語っている(録音)のをラジオで聴いたと言い、「それを聞いて初めて死というものにいいイメージが持てた」と本当にうれしそうに話してくれた。

 その少し前の指導では、Oさんは子どもや孫たちが誕生会(米寿の祝い)をするのを嫌がり、結局嫌々付き合ってしまって体調を崩すということがあった。

 その時、Oさんは家族が「元気で長生きしてね」とか、おめでとうなどというのが白々しいと言い、誕生日なんか、死ぬのが近づくだけなのに、何がめでたいもんか、と本気で言うのだ。

 また、それ以前にもOさんは「もう死んでもいい」などと言うことがあって、私は「これじゃまだ死ねない!」と切り返したこともある。

 でもその時は、「ああ、老いるのって辛いし、死ぬのって寂しいことなんだな・・・」と、少し悲しかった。偏屈と言われても、若い人には分からない感情があるのだ。

 だからOさんが、「母なる宇宙のもとへ」という死生観を持てるようになったと聞いた時、本当に良かった・・・と思った。井深大氏の語る世界観(ビジョン)はやはり偉大だ。人を動かす力がある。

 Oさんには、小学校に上がる頃、警察官だった父親が朝鮮半島に赴任し、父に連れられ母親と離れて外地で過ごした経験があった。

現地には朝鮮人の妻がいて、その人は可愛がってくれたそうだが、数年後に帰国した(滞在年数ははっきりしないが戦争中に日本で旧制中学入学)。

その後、家庭の中が不和になり、子どもが床に入った後、夫婦げんかで母親がヒステリックな声を上げると、Oさんは全身が凍りついたという(指導の時、不意に思い出したと話してくれた)。

 そういう背景もあって、母なるものに回帰するという死生観は、Oさんの無意識的要求に適ったものだったのだろう。

 その後Oさんは、苦しそうな延命措置は受けずに、楽に死ねるにはどうすればいいかと言い始めた。

 Oさんは脊椎が曲っていて、骨盤もかなり下がっていたので一人では仰向けになれなかったが、指導で弛むと仰向けになっていられるので、よく不思議がった。(註)

 そこで私は、「脱力すること」を教えるようにした。いよいよという時は、今の状態を思い出して、心を落ち着けて、ゆっくり呼吸し、体の力を抜く。これを寝る前に練習することを勧めたのだ。

 また、「小さい時好きだったもの(九州の郷土食と極上キムチ)が食べたいが、近くで手に入らないし贅沢かと思って言えないでいる」と言うので、そういう時こそ子どもや孫に頼み、「お取り寄せ」して食べるように勧めた。

 その8か月ほど後、Oさんは救急搬送され、緊急医療を受けることなくそのまま亡くなった。

つづく。

参考文献 ユングユング自伝2 思い出・夢・思想』(みすず書房 1973年)

(註)Oさんの身体の歪みや硬張りは、長期に亘る偏り運動習性の固着による。程度の差はあるが、偏り疲労(力が入ったまま脱力できない部分がある状態)が弛むと、高齢者も背骨は伸びてくる。