アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

修験僧に会う 2

 今回会いに行った修験僧に初めて会ったのは6年程前、ある最悪なイベントの後、某整体指導者から平均化体操の話を聞いた年の秋だった。そして、この「最悪なイベントの後」は、私が先生の胸椎七番の異常に最初に気づいた時でもあった(胸椎七番には癌の兆候が表れる。当時、癌とまでは思わなかったが、以後、私は先生の体を観るようになり、亡くなる二年半ほど前に癌が分かり、最後の一日に入った病院での診断も癌だった)。

 修験僧は、整体の先生のことも、一緒にいた私のことも覚えていてくださって、すぐにうちとけてお話をすることができた。

 

 現在75歳の修行僧は吉野に代々続く修験道の宗家に生まれ、若い時からかなりの行をされてきた。しかしその人は、滝行などの厳しい行ほど「行に溺れる」落とし穴がかなりあると言い、「なぜ、何のために行をするのか」が一番大切なのだと語った。

 整体には「荒行」というものはないけれど、同じく身体の行であるという意味では行に溺れる可能性というのはあると思う。操法、活元運動、愉気、といったものが自分や相手の身体に起こす変化を実際に体験すると、すごいことをやっているという気になってしまいやすい。

 それに身体感覚の世界というのは危ない要素を持っていて、自己陶酔的になりやすいものだ。

 だから「なぜ、何のために行をするのかが一番大切だ」という言葉は、野口整体においても同じことが言えると思った。そこで身体の行が「自分の心にどう関わるのか」という問題が出てくるのだ。

 僧は、丹田には「無量光仏(アミターバ)」がいて、それによって生かされている、それを感じ、感謝できるようになることが行の目的だと言った。そして仏の実体は光なのだと言った。

 そして、修験僧は整体の先生のためにお経をあげて下さった。そして私も一緒に「南無阿弥陀仏」を千回唱える行を行った(阿弥陀仏はアミターバ(無量光仏)のこと)。

 その後、僧と話をし、私は「自分に先生の心を受け止める器があれば、先生をこんな風に死なせたりはしなかったのに」と思い、自分を責めていることに気づいた。

 先生は生い立ちに恵まれず、もともと丈夫な方ではなかった。また先生には20年程前に兄弟の癌と死にまつわる心理的な打撲があって、左重心なのに左の腰を十分に使えない状態があった。そして5年程前から周囲の人達の無理解に対する失望が重なって、死病に至ったという経緯がある。

 私は、亡くなる半年前に「もう駄目かもしれない」と思うようになった。そして先生の身心にある打撲も失望も観察で分かっていながら、自分にはどうすることもできなかったという思いが残り、それが心の奥で、整体に対する不信、自分に対する不信になりかけていた。

 私はその修行僧の前で泣いてしまったが、その人は「そんなにつながりの濃い人が死んだら、一年はつらいな。一年は何を見てもその人のことを思い出すやろ。でもそれが過ぎたらな、あんたは強うなるわ。指導力も変わる」と言ってくれた。

 一年、と期限をつけられて、私は何だかほっとした。そして「それまで頑張ろう」と思った。それを超えた自分を空想しながら、頑張ろう。

 私は先生が亡くなってから、ほぼ毎日やる跨ぎの型(操法の基本型)の練習と活元運動、そして個人指導の時間は、今にも絶望しそうな自分の救いのためにやるようになっていた。平均化体操もその中のひとつだ。そして、今は辛さをなくすためではなく、体の中から、乗り超える力を引き出すためにやるということを、しっかり自覚するようになってきた。

 こういうことは、亡くなった先生も、野口晴哉先生も、再三述べていたにも関わらず、私は分かっていなかったのだ。自分の取り組みはこれまで甘かったな・・・と反省している。