アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

野口整体の死生観

 先生が亡くなる前日の早朝、先生が救急車で搬送されたという連絡が入った。私は先生には道場で最期を迎えてほしいと内心切望していたが、それは叶わず先生はICUに入ったのだった。

 私は医師の説明が行われる場に同席することになった。もう治療をする段階ではなく、どうなっても不思議はないという、病状についての説明があり、人工呼吸器の気管挿入をするかどうかを聞かれた。つけなければもう今どうなっても不思議ではないが、やってしまうと自力呼吸ができるまで外すことができない。しかし緊急の場合は主治医の判断で行うため、説明の間に先生はすでに気管挿入されていた。

 そして、これから心肺停止になった時、心臓マッサージをするか、という選択をした。内科医の説明は親身で、何もしないという選択にも肯定的だった。

 その後、先生に会うことになった。若くして野口晴哉師に入門し、40年以上病院での治療を受けずに来た体が、気管挿入され、機械をつけられて、白い病院の服を着せられて、ベッドに横たわっていた。その時のショックは今でも忘れられない。極端にいうと、野口整体が瀕死であるかのように思えた。

 その後の主治医との話で、延命効果のための輸血はしないこと、死後解剖をしないことを決めた。そして次の日、夜が明ける前に、先生は亡くなったのだった。

 この時のことを思い出すと、本当はまだ冷静ではいられない。書き尽くせないくらいの思いがまだある。ただ、この経験を通じて、今、病院で死を迎える場合においても、医師がすべてを判断する時代は終わり、自分または近親者が生死にかかわる選択をしなければならないということを知った。

 苦痛と孤立を患者に与えるような終末医療を断る選択ができるというのは進歩だと思うが、それだけに個々の「死生観」が問われることになる。宗教家でも医学者でもない普通の人が、死を受け入れる「時」を決めなければならない。また、やろうと思えば、死を先延ばしにすることはある程度できてしまうくらいの医療技術もあるから、最後まで徹底抗戦という選択もありうる。

 先生の主治医はまだ若く、「命を助けること」に一生懸命になっていて、それで気管挿入をすることになった。しかしその後、40年以上に渡って医療を受けたことがないこと、そして心肺停止後の心臓マッサージをしないことを選択したのを知って、ちょっと驚いてはいたが、輸血をしないことに関しては肯定していた。解剖について聞かれた時、私は思わず「そういう人ではないんです」と答えてしまったが、それも肯定してくれた。

 この若い主治医は「僕も医者は嫌いです」と言いきり、「でも検査は受けてください」と言った。そこで議論しても仕方がないので何も言わなかったが整体に関わる人間は医者が嫌いで病院に行かないのではない。西洋医学の医師と野口整体との間には、健康、そして生死というものの捉え方に大きな相違があるのだ。

それでも私は、ICUで医師とこんな話ができたこと、先生の死を通じて理解したこと、感じたことのすべては、先生の最後の指導であると確信している。「宗教と科学」の問題は、これほどまでに身近で切実な問題なのかと今更のように思う。

 私はこの時の医師たちとの対話のなかで、「先生を失いたくない」という自分の感情もあったが、同時にそれを超えたある掟のようなものを腹の底で感じていた。それは、先生の命が向かっていく方向―生きる方向であれ、死ぬ方向であれ―に逆らうことは決して許されないということだ。この野口整体の死生観というものが、いつの間にか、私の中に根付いていたのだった。

 日本人全体から言えば、野口整体をやっている人はごく少数派で、今後も主流となることはないのだろう。しかし人の生死がかかった現場で決断を迫られる時、野口整体の死生観というものの持つ力は底知れない。ただ、元気な時から、病症の経過を通じて少しずつ養っていかなければ生きたものとはならないのだ。それを伝えていくことが、今後の課題となると思う。