アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

鼻づまり体操の秘密

 今月に入ってから、世界的に新型コロナウイルス感染者は減少に転じ、日本の首都圏でもかなり減少してきている。

 コロナ禍で、インフルエンザをはじめとする感染症は軒並み減少し、日本に限って言えば死者全体の人数までが例年より減っているというニュースを読んだ。何だかなあ…。

 しかし、花粉症はあまり関係ないようで、先日、ある人の相談を受け「鼻づまり体操(ちくのう症体操)」を教える機会があった。

 この体操を最初に知ったきっかけは、小学校の5・6年生位の時、テレビである医師が「鼻詰まりを治す体操」として紹介しているのを見たことだった。

 私はそのぐらいの年齢で花粉症が始まったので、鼻が詰まって苦しい時に試してみたところ、効果はてきめんだった。また小学校六年の時、私は風邪をきっかけにちくのう症のような状態が二か月ほど続いたことがあるが、それもこの体操で乗り切った。

 病院で薬も出されていたが、私はこっそり学校のゴミ箱に薬を全部捨てた。これを飲んではいけない、このひどい鼻水を止めてはいけない、と直感したからだ。

 実際、経過してから子ども的な夢見の意識が、はっきりした意識に変わったと思う。おそらく思春期に入る準備段階で必要な体の過程だったのだろう。体の勘というのはすごいもので、子どもの小さなレジスタンスには大事なことがかくれていることがある。私はそれが「野性」というものだと思う。

 古代ギリシアの医師ヒポクラテスは「脳から排出される粘液は、鼻から鼻水として排泄される」と言っているが、子どもの時の自分の実感としては「本当ではないか」と思ってしまう。現代の生理学では違うのだろうけど。

 また当時、私は体操と言えば体育の時の体操しか知らず、症状が治る体操なんて初めての体験だったので、「すごい!といたく感動してしまい、それ以来、風邪や花粉症などで鼻が詰まるとこの体操をやるようになった。

 これが野口整体の体操であると知ったのは、整体を始めてからのことで、知った時は本当に驚いた。テレビで見た医師は野口整体の話をしていなかったと思うのだが…子どもだったから、私が聞いていなかったのかもしれない。

 しかし、整体を本格的に勉強するようになってからは、首や頭、顔の処(ポイント)を愉気することを覚え、私はこの体操をやらなくなっていた。

 それが先日、教える機会があったことで、この「鼻づまり体操」を改めて見直してみようと思った。(実技編は明日公開予定)

 11歳の子どもがテレビで一回見ただけでできるような簡単な体操だが、今改めて見直してみると、脚の運動、骨盤部と腰椎への働きかけがしっかりできることに感心してしまう。鼻は顔にあるけれど、機能的には下体の調整が大切なのだ。

(この体操は体の硬張りが強い人には結構大変で、刺激もそれなりにあるので、無理がかからないように注意。)

 でも、『整体入門』には「食べ過ぎ体操」などの体操や整体体操が紹介されているが、この体操はなかったし、あまり知られていないかもしれない。

 体調を整えるための体操というのは、これまたヒポクラテスが始めたとされており、野口晴哉は若い時の文章で、ヒポクラテスが好きだと書いている。

 ただ、これまで医療的な体操と言うと、膝痛・腰痛、肩こりなど、骨格筋系を伸ばすストレッチ、または弱った筋力を高める、鍛えるという範囲のものが多かった。でも、最近は頭痛、また心疾患や呼吸器疾患のための体操というのも勧められるようになってきているのは良い傾向だと思う。

 この「鼻づまり体操」は、終わった後に骨盤部から背骨全体が伸びる感じとともに頭がすっきりするのが非常にいい。また、自分で自分の体を整える、つまり自分で自分の体に主体的にコミットしていくことを教えるという意味では、体操は手技的なアプローチより優れている面がある。

「子ども時代には、未来が飛び込んでくる瞬間が必ずある」という誰かの言葉を、『世界の子どもたち』(UNICEF)という写真集で読んだことがあるが、この体操を通じて、野口整体に間接的に出会っていたんだな…と思うと感慨深い。そして改めて、この体操の中にある「整体らしさ」を再発見することができた。

「体」と「動き」が表現する個性ー整体のまなざし

 私は学生時代、クラブで陶芸をやっていたのだが、当時仲の良かった女友だちの裸体のトルソー(上体)を陶土で作ったことがある。

 小さい試作で頭はなく、お尻の上あたりまでの像だったが、友だちに「自分の体だと分かるし、恥ずかしいから大きいのを造るのは止めて!」と言われた。

 残念だったけれど、ぽっちゃり型の彼女の特徴をよく捉えていて、それなりによく出来ていたと思う(だから怒られたのだが)。

 その陶芸クラブは、はまってプロの陶芸家になった人が何人もいて、ただのクラブなのに入ると人生が狂うと言われていた。顧問の先生は器を作る人ではなく、陶土でオブジェを造る人で、当時、私たちに「造形をやるなら、自分の素材を早く見つけろ」という話をしてくれたことがある。

 その時、先生は「自分の造形力が湧いてくるマテリアル」という意味で「自分の素材」と言ったのだが、当時から私は陶土より人間の体の方に興味があったのだと思う。

 顔よりも体に注意が行ってしまうし(男女問わず)、もしかすると自分はエッチなのかなと思いつつ、器のかたちも体の線をイメージすることが多かった。

 美的なプロポーションというよりも、体の形の中に「生きものらしさ」、生きているという感じを見ていて、生き物ではない陶土で作っても、フォルムによって生き物っぽく見えてしまうのが面白かったのだ。だから私の作るものは生き物っぽくて、「動きそう」とか、「何となくエロい」などと言われることがあった。

 そういう関心の持ち方は、野口整体の体の観察にもつながっていたと思うが、整体を始めてから、昔造ったトルソーは、形を捉えていただけだったなと思った。

 ある姿勢の中で、部分的に力が入っているとか抜けているというところや、動きの中にある一瞬を捉えていたわけではなかった。芸術家というのはそこを捉え、生命を表現する人のことを言うのだろう。

 形の中にも生き物らしさはあるが、その個性を表現するのはやはり「動き」で、動きを観ることは、野口整体の観察の特徴でもある。

 これも学生時代の話だが、ある時ゼミで、先生に自分の出身地を言う機会があったのだが、私が○○県です(書きたいのだが、いい話ではないので伏字)、と出身を言ったら「やっぱり!思った通りだ!」と言われたことがある。

 先生は私が切符を買って改札を通る様子を観察して、それが判ったと言った。先生の研究?によると、奥さんが私と同郷で、奥さんは電車に乗る時、何となく動きが「トロい」のだと言う。また、人込みの中での歩き方にも特徴があって、本当にマイペースで「流れに乗る」ということがない、と言った。

 それで先生は「土地的なものか?」と思い、他の同郷人を観察したところ、同じようだったと言う(先生は北関東出身)。こうして先生は、「一緒に電車に乗れば、百発百中に近い確率で判別できるようになった」そうだ。

 ちなみに奥さんは編集者でキャリアウーマンだが、こういう習性は昔も今も変わらない上、本人はあまり気づいていないとのことだった。

 その時も驚いたのだが、神奈川県出身の友達に聞いてみたら「分かる!」という返事で、私はさらにショックだった…。でもそういう傾向はたしかにあるような気がする。

 これは整体の観点からも興味深い研究なのだが、こんな風に、動きの中には本人の意識していない独特さがあって、観察力が高まると、その人の内面的なことも観えてくる。

 私の師匠は「物まねをするとその人のことが分かる」と言ったが、確かにその人が意図せずにとっている姿勢やしぐさを真似してみると、その人の気持ちが分かるものだ。

 やっぱり、体というのは興味が尽きない。私にとっての「自分の素材」は、「人間の体」だったのだろう。

感受性と食物アレルギー

 先日、知人が緊急事態宣言下のお見舞いとして、「富山名産 鱒の寿し」を送ってくれた。箱の中にとろろ昆布と干し柿も入っていて、心の温かさが沁みた。

 ところが、である。私には生鮭アレルギーがあった。焼塩鮭のおにぎりぐらいの量なら良いが、お刺身やスモークサーモンを食べると唇と口の中がかゆくなり、唇が腫れてタラコのようになってしまうのが常だった。

これが食道などまで広範囲に起こると「アナフィキラシーショック」という状態になって、命に関わるそうだ。

 でも、せっかく送ってくれたし、食べたことのない銘柄(吉田屋鱒寿し本舗)でおいしそうだったので、「少々腫れてもいいや」と思って食べることにした(鮭の味は好きだし、「食べられないもの」があるのも悲しいので、ちょっとだけ食べるようにはしていた)。

 食べてみると本当においしくて、思わず一般的な円形サイズ(の半分も食べてしまった。その後、口の中がなんとなく痒いような感じがしたが、「痒いな」と思って気にしないでいたらそのまま消えて、いつものタラコ唇にはならなかった。どうも、私は生鮭アレルギーが治ってしまったらしい。

 思い返してみると、私がアレルギーになったのは小学生の時からで、輸入のキングサーモンを食べたのがきっかけだった。

 ものすごく脂っぽくて、これまで好きで食べていた日本の鮭とは味が全く違うのに驚き、「嫌だ!」と思ったのだが、父の海外出張のお土産で、「まずい!」とか「嫌い!」と子どもながらに言いにくく、我慢して食べた。その後から、鮭で口の中や周りがかゆくなるようになったのだ。

 出来事としての記憶だけで、その時、嫌だという感情を抑えたことは漠然としていたのだが、今ははっきり「嫌だったのに我慢したんだな」と分かる。

 あまり一般化はできないが、私の鮭アレルギーは、私の「嫌だと思っても我慢してしまう」という心の癖が取れてきたことで治ったのではないかと思う。

 野口晴哉はこういうことを、「体の記憶」が条件反射的に同じ反応を繰り返させているのだと言う。

 この場合の条件反射というのは、「鮭を食べる→唇が腫れる」という物理的な刺激反応というより、「鮭を食べる→唇が腫れる」の→に「情動(嫌!)」があり、情動によって結びつけられていることを言う。

 トラウマ理論的に原因と結果だけで考えると、変えられない、治らないとなってしまうが、そこにある自分の感受性(私は特に「嫌!」が強い)と、抑圧する心の癖を自覚して、嫌だと感じたら食べるのをやめる、というように、感じたことが自然に行動になるようになっていけば、アレルギーが治ることもあるのだ。

(秋のキンモクセイの匂いと春先の過敏反応はあるけれど。)

 しかし、それは頭だけではできない。行動を変えれば心が変わるという場合もあるが、アレルギー反応のような無意識的な反応は、「嫌な時は食べないようにしよう」と意識的に行動だけを変えても、感受性が変わらなければ変化しないものだ。 

 意識しなくても、「嫌だ」で固まらずに、すっと「食べない」という行動に移れるようになっていくというのが整体だ。その心の動きと体の動きの間に、錐体外路性運動系、潜在意識、感受性がある。

 指導する側としては、花粉症や食物アレルギーなどがあるのは結構恥ずかしいし、「整体やってるのに?」と言われるのもイタい。でも、こういう過程というものは、治った事実以上に代えがたい経験智になる。

 私は、野口先生のようには、いやその弟子の我が師匠のようにもいかないけれど、歩む道筋はここにある!と改めて思った。

要求と脾臓との関係

 一月終わりからもう花粉症的症状が始まった。花粉に対するアレルギーなのか、春の体になる準備なのか分からないのだが(多分、春先は過敏反応傾向になるからだと思う)、症状の強弱はあっても毎年恒例になっている。

 私はもともと春の変動(骨盤の動き)が大きい方で、整体を始める以前は、今の時期になると、夜、微熱が出たりしていた時代もある。しかし、整体を通じて、この時期の自分の扱い方、どういう時に症状が強くなるか、などが分かってきたせいか、苦にならなくなってきた。

 それで私は、毎年、ゆずマーマレードか金柑の蜜煮を蜂蜜入りで作ることにしている。普段、食べたいわけではないのに、この時期になると食べたくなり、食べると経過が楽になるのだ。

 甘く、見栄え良く品種改良されたものより、できるだけ在来種で香りの良いものを探して、ゆでこぼしたりしないで作るのが良いと自分では思っている。

 昨年末はいい柚子に出会えなかったので、リンゴジャムをつくったのだが、つい先日、いい金柑を見つけることができ、蜜煮を作った。やっぱり私はリンゴより柑橘類だなあ、と感心した。

 前に住んでいた所では、日曜日になると農家の市場があったり、無人販売があったりして、要求を感じた時、理想的なもの(柑橘類、山菜・野菜など)を探すのが容易だった。

 しかし、今住んでいるところは少々都会なので「どうしようかな」と思ったのだが、昨年も今年も何とかなっている。自分に必要なものは、出会えるようにできているのかもしれない。

 まあ、こういうことの効果のほどは人によって違うので、花粉症のある人は、要求をレーダーにして適ったものを探してみてほしい。

 前回、脾臓に興味を持っていると書いたが、もともとは、心臓と血液の中毒・質・血行の状態(D4とD9,D7,D8)を一つとして観る野口整体操法(体を整える手技)があることと、師匠の体の異変に最初に気づいたのが胸椎7番という脾臓に関連する椎骨に触った時だったというのがきっかけだった。

 そして、COVID-19の重症者(死亡者)の解剖所見では、脾臓の萎縮が指摘されていること、またシュタイナーの身体観、東洋医学の身体観での脾臓の存在意味を知ってさらに関心を深め、医学的にも勉強している。

 近年、脾臓の重要性が注目され、免疫系での重要性、心筋梗塞が起きた時に脾臓から心臓を修復する単球(白血球の一種)が大量にできることなどが分かっている。心臓と脾臓は深いつながりがあるようだ。

 シュタイナーは「霊視」とか、「オカルト医学」などと言うので、どうも怪しい感じがつきまとうのだが、脾臓について興味深いことを言っているのでちょっとだけ紹介しておきたい。(PDF「精神科学と医学」第16講  1920年

皆さんは、脾臓のあたりを弱くマッサージすることがとりもなおさず人間の本能活動に対して均衡をとるように作用する、ということを確認することができるでしょう。

脾臓のあたりをそっとマッサージすると、人間はある種のしかたで、より良い本能を獲得し、つまりたとえばその人に合った食物を容易に発見することができて、生体組織のなかでその人に役立っているものやそうでないものに対して健全な関係を持つことができるのです。

脾臓の機能は、人間が活動するがゆえに、まさにこの外的な消耗させる活動によってきわめて強く影響を及ぼされています。

人間は、ある種の動物たちとは異なり、横たわって消化を外的活動によって妨げないようにすることで健康を維持するということをしません。

…人間は、外的、神経症的な慌ただしい活動のなかにあるときは、脾臓の働きをいたわりません。その結果、そもそも文化人においては全般に脾臓の働きが次第に大変異常なものになっていくわけです。

   ここでシュタイナーが言う「マッサージ」というのは簡単に言うと「手当て(愉気)」のようなことで、こうして無意識的臓器である脾臓に意識の光を当てるのだと言う。そして、(ちょっと整体的表現になっているが)、脾臓は生命の内的な秩序を保つ中心であり、意識に偏った生活による秩序の乱れを整えることができると言う。

 それはともかくとして、私が大切だと思うのは、脾臓の働きが良くなることで、整体で言うところの「要求」がはっきりしてくること、意識と無意識の統合がはかられること、外界から取り入れるものとの関係が健全になっていくということだ。

 新型コロナウイルスが初めて日本に上陸した時のブログで、

ほうぼうの土地や動植物を何らかの目的で利用したり、食べたりする場合にはまず、土地や動植物の夢見に入り込む術を身につけなければならないんじゃ。

白人たちは、そんなことはいっさいしない。だから、病気になったり、気がふれたりして、身を滅ぼしてしまうのじゃよ。

ロバート・ローラー(著)長尾力(訳)「アボリジニの世界」

  というアボリジニの言葉を引用した。

 現代人の脾臓の機能低下と、アボリジニのこの言葉。それから心臓と脾臓の関係。何か連環しているような気がする。

…やっぱり中途半端、まとまらなかった。またいずれ。

病院食と伝統文化

 少し前に脾臓の観方(アントロポゾフィー医学・中国医学野口整体・西洋医学)について書いたが、私は現代人の体の問題を考える上で脾臓に注目していて、COVID-19にも関係があるのではと思っているため、少しずつ勉強している。

 この脾臓の資料を探している中で、『お茶の水医学雑誌(東京医科歯科大2014)』のPDFに行き当たり、脾臓の勉強とともに「世界の病院食・病後食」(丸山道生)という興味深い論文を読むことができた。

 去年の春頃、ベルギーの美大に留学中の日本人学生でCOVID-19を発症し、入院した人のブログを読んだのだが、その中に、入院中の食事がこってりラザニアや丸ごと一個のリンゴ、パルメザンチーズをどっさりかけたサラダなど、軽症者とは言え食べにくいメニューで、閉口しているという記事があった。

 その時は異国で病気になった時の不安を思い出して、「おかゆが食べたい」と訴える留学生に同情したのだが、この論文によると、病院食というのは非常に地域色が濃いもので、日本では消化器外科術後に重湯・三分・五分・七分・全粥・(軟飯),常食と 6~7段階もお米のお粥が出されているが、これは日本だけの慣習だそうだ(丸山医師は「科学的根拠に乏しい」と指摘)。

 病院食の世界では、近代西洋医学の病院という場であっても、伝統文化が堂々と生き残っており、ヨーロッパや中東などではハーブティー(使う植物に地域差がある)、韓国では水キムチ(唐辛子が入る以前の古いキムチで健康に良いとされている)が出されている。もともと食養生の伝統が強い東アジアはそれが如実に表れているようだ。

 その他、西ヨーロッパではあまり病人食という概念がなく、イギリスでは大腸の手術後一日目から、コーヒーやサンドイッチなどの常食が出され、スウェーデンなども量を減らしただけでほぼ常食だ。

 アメリカは内容が最も科学的で、術後食には流動食から通常食の間に四段階ある。しかし、なぜか手術直後からコーラやレモンライムソーダが出されるのがアメリカ的だ(ヨーロッパにはない)。

 概観すると、病後食中には近代医学以前の伝統医学(ユナニ(イスラム)医学・中国医学アーユルヴェーダ・民間療法など)の考えがほぼそのまま生きていると言っていいだろう。

カロリーや栄養素を計算する栄養士は世界中の病院にいるだろうに、実際の食事はかなり伝統文化に寄ってしまうというのが面白い。

 ちなみに野口整体では、体調が悪い時に「じゃ、体に負担かけないようにお粥にしなさい」と言うことはない。しかし、昔はお粥が日常食だったと言うし、ベルギーで一人ぼっちで入院した若い留学生が、「お粥が食べたい!」と思うのは、日本人の集合的無意識的な心の表れだったのかもしれない(大げさかな?)。

 だから、「弱っているからお粥にしなければ」という受け身な心ではなくて、「お粥が食べたい!」という要求を感じたなら、お粥ももちろん体に必要な食べ物だ。

 多くの場合、体調の良くない時に「食べたい」と思うものには意味があり、体が必要としている場合が多く、体調を崩した時に食べたくなるものは、個人によってだいたい何種類か決まっているので、それを普段から探求しておいて、体を整えるのに活用するよう指導する。

(私の場合は大豆(製品一般)、はちみつ、柑橘類、鶏レバーなどがある。質の良いものを選ぶことが大切。また、時と場合によってこれ!というのが変わることも多いので、あくまで「今、感じている要求」を中心とする)

 また、多くの動物は怪我や体調の悪い時に食べなくなるが、食欲がないこと=症状とは考えない。実際には、栄養を摂ろうとして余分に食べることの害が大きいからだ。

 こうした野口整体の考えというのは、一般的な常識とはズレていることも多くて、眉を顰められてしまうこともある。

 しかし、世界各地に病人食の常識というものがあり、相違があることを知ると、体調の悪い時はこういうものを食べなければならない、という固定観念が薄まるかな…と思った。脾臓についてはまた今度。

(補)病院食の文化圏

 論文の中で丸山医師は流動食の文化圏を「西洋肉湯文化圏(肉のスープ)」と「東洋穀物湯文化圏(穀物の重湯)」 と名づけている。

 さらに東洋穀物湯文化圏は北方・中間・南方の3地区に分けられ、北方には中国東北部から韓国北部までの雑穀(粟)湯文化圏、中間には日本、中国南部、タイ・インドネシアなどの東南アジア諸国が入り、米湯文化圏。南方はインド・バングラデシュにみられる大麦を使った大麦湯文化圏がある。

 そして、東アジアの病人の食事は、北は雑穀(粟)の「畑の病人食」、南は稲作の 「水田の病人食」があると言う。

 これは中国の二つの古代文明黄河文明の主食が粟で、長江文明の主食が米であったことを考えると非常に興味深く、日本人のルーツにも深く関わっている。

生と死の連続性

 前回、知人の写真家が制作したMVを見たことについて書いたが、あれから私の中で変化が起きている。その写真家は自死したこともあって、私が思い浮かべる彼女の顔は、自分の苦い思いに色づけされて、何となく寂し気で表情が暗く、止まっている時間の中にいるような気がした。

 しかし、なぜかその顔が明るくなって、少し笑っている。そして、私の中で彼女の死についての受け止め方も変わった。

 あのMVを見た時、私はカメラの向こう側にいる彼女が生きた密度ある時間を、再現しているように感じたのだが、なぜかその後から、「自死したことは、彼女が生きた人生の結果ではない」とはっきり思うようになった。

「供養をする」というのは、もしかすると本当はこういうことなのではないかという気がしている。

 私の知人に、若いころ恋人を自死で失うという経験をした人がいる。その人はその経験を封印して、仕事に打ち込み、仕事の助けとなる女性と結婚し、家庭を持ち、経済的にも自分の想像以上に成功した。

 しかし人生の後半に入って、切り離したはずのその時のことが心に影を落とし始め、心のバランスを崩してしまった。最悪の時期をぬけて何年も経つが、終わってはいないようだ。

 このような出来事を乗り超える力というのは、その人の成育歴が大きく関わっていて、一概には言えないのだが、彼の中にはその時の感情とともに止まってしまった時間があって、ストレス負荷がかかると彼をその時に引き戻してしまうのだ。

 私は以前、自死をすると成仏できないとか、悪い生まれ変わりをするとかいう宗教的・スピリチュアル的言説を信じることができないと書いたが、それが本当はどういうことなのかが少しわかったような気がする。

 多分、自死をするということは、生命時間の流れを断ち切ってしまうことであり、それがつながりのあった人の心にも、切断の跡を遺してしまうのだと思う。

 上手く説明できないのだが、本当は、そのことを「悪」と教えるために自死はいけないというのではないだろうか。

  これは、私の師匠の死を経験して思うのだが、死んだ直後のショックを抜けた今になってみると、私の中で先生の死というのは、ある節目ではあっても、先生の人生、私が先生と過ごした時間の流れと連続している。

  病院に搬送される前日、私はこっそり先生の寝室に入って会ったのだが、その時、私は先生の顔に死相を観た。私に死相が観えるのを先生は知っていたし、私の表情で私が何を直感したかは分かったはずだ。

 その時、先生は、私に手を差し出し、握手をして「待ってろ、いいか」と何度も言った。たぶん先生は、野口整体の指導者である自分が病院に入れられ、病院で死ぬのを私に見せたくはなかったのだろう。

 でも、それまでに過ごした時間の密度、先生の死の受容、死に際、死に顔、そうしたこと全体が、私のなかに生と死を切断ではなく連続だということを教えたのだと思う。生きている体がないことに寂しさはあるとしても。

(先生の臨死時には、ある不思議なことがあって、それもまだ誰にも言えないでいるのだが、そのことも大きく関わっている)。

 生と死が「切断」として感じられるか、「連続」として感じられるかというのは、大きな違いがある。それは遺された人にも、おそらく亡くなった人にも影響するのかもしれない。

 日本人の死生観と臨死体験を研究するカール・ベッカーは、「臨死体験が宗教の基にあるのであって、宗教が臨死体験を作るのではない」と言っているが、私も宗教の核心にあることではないかと思うようになった。

あの時彼女がなぜ自死を選んだのかは分からないし、本人だって明確には分からないのかもしれない。その時はそうするしかなかった、できなかったということだと思う。

 でも、亡くなった人とのつながりは切れてしまうわけではない。自死したということで彼女の印象が暗いままになっている私にとって、あのMVは、彼女に真剣に生きた時間があることを教えてくれるものだった。そして心の中の彼女のイメージが明るくなった。

 きっと彼女はそのことを喜んでくれている。そしてより多くの人に、あのMVのなかにある、彼女が見つめたこと、彼女の生きた時間を観てほしいと思っているだろう。名前は出さないけれど、私もそれを祈る。それが表現者であった彼女に対する最高の供養と思いつつ。

布団乾燥機の整体的活用 再び

 以前、このブログで「布団乾燥機の活用」をおすすめしたことがあるが、布団乾燥機は「睡眠と呼吸を深くする」という整体の第一法則の助けとなるものだ。

 そこで、布団乾燥機を持っている人は、もし自身や身近な人がCOVID-19を発症して自宅療養となった時、布団乾燥機を使って、布団を乾かし温める(熱すぎるのは厳禁)ことを覚えておいてほしい。できれば毎日がいい。そして水を少しずつ飲むこと(ガブガブ飲みは×)。

 これで治りますとは言えないのだが、古代ギリシアの名医ヒポクラテスは、医師の心得として、流行病にかかった患者には「益を与えよ、さもなくば無害であれ」と言ったそうだ。少なくともその心得は満たしていると思う。

 一都三県は、もし感染したらという想像力を持たなければならない段階で、一人で乗り超えなければならない人も多い。ちょっと心にとめて置いてほしい。(私は家電メーカーの回し者ではない、一応。)

 ところで最近、いつも読んでいるブログに、一緒に野口整体を勉強していた知人の女性写真家が制作したMVが紹介されていた。カメラは定点観測のように動かない。グレー一色の背景で、歌う人の頭と上体だけが映し出されている。衣装も黒のタンクトップ一枚。

 そういえば彼女は出会った当初、駅などで声をかけ、いろんな人のポートレートを撮っていると言っていた。私は「あの大きな古いカメラで撮るのは大変だろうな…」と当時思ったのを覚えている(冷え性だし)。あの一般の人のポートレートは今、彼女の作品群として遺っているのだろうか。

 このMVでも、歌っている人は歌うのに必要な体の動きしかしない。歌うポートレートみたいで、カメラの向こう側に彼女が存在することが、この人の、この表現を生み出しているように感じる。あの頃彼女がやっていた作業とつながっているような気がした。

 人間の写真を撮る時は、撮る人が被写体に与える影響が作品に大きく関わっている。街中でも、彼女の集注力でカメラを向けられたら、シャッターを切る瞬間は、自分と相手だけの世界になっていたのではないだろうか。

 彼女はこういう「気の感応」の瞬間を撮ろうとしたのかもしれない。自身が発見した「この人」、そして自分と対峙する今を切り取った写真を、見てみたいなと思った。