アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

死についての学び

 前回、自死をすると、死後、苦しむことになるという霊的、宗教的な教えは信じられない、と書いたが、その後、若い俳優の自死が報じられた。

 それで、私の今の気持ちとしてもう少し補足してみると、事故死や病死などは仕方がないが、自死は罪深いとか、そういう区別が理解できないということだ。

 前回書いた知人の女性写真家の自死を知った時、私は「一人ではないと思ってもらうことぐらいはできたのではないか」と思い、それがやはり辛かった。

 整体の師匠が亡くなる半年前、「このままでは死ぬ」と思った時は、私より能力のある人に指導をお願いできないかと思ったし、亡くなった時は、「生きることよりも死を選んだのではないか」という思いと、何かの折に不意に襲ってくる「あの時、なぜこうしなかったのだろう」「あんなことを言うのは間違っていた」という思いに苦しんだ。

 でも今、私は、人が死ぬことには誰も介入できないのだと思う。野口晴哉師は、病院で見放された人でも治してしまうので、神技と言われていたが、弟子の臼井栄子先生(確かそうだったと思う)は、「(治療技術がすごいというより)野口先生は、死ぬ人には最初から手を着けないのだ」と言ったそうだ。

 それは、私の師匠が若い時に自分の手に負えないがんの患者を野口先生の下に連れて行った時の話で、野口先生にぼそっと「…○○君(先生の名前)は何をやっているのかな」と言われ、凍り付いた…と言っていた。その後、その人は20年ぐらい生きて、がんが消えて無くなったかどうかは分からないが、普通に長生きだったという。

 確かに野口先生は、子どもの時。病人が死ぬ方向にあるか、生きる方向にあるかを観てとることからこの仕事を始めたと言う。その後も観察の着手はいつもそこにあったし、そういう生死についての真剣さと注意力、敏感さ(勘)は、この仕事には必要不可欠なことだ。

 そういう野口先生でも、多くの人の死は自殺であり、寿命を全うする人は少ないと言う(先生に言わせれば、もっと生きられるはずの人が死んでいるという意で、死の要求が出てきた時に人は死ぬという観方がある)。

 ちょっと話がそれたが、死というのは価値判断や他者の介入を許さない厳粛で非情なものであって、多くの場合、その人が死の方向を向いたらどうにもならないのではないだろうか。

 自分の死は一度きりでも、まだ自分の身に死が近づいている実感がなくても、他者の死は生きている間に何度か経験する。大切な人の死にあったら、心の中でその人に話しかけたり、疑問があったら尋ねてみる、ということをやると良い。いろんな形で、答えは返ってくるものだ。

そして、死者の視点を心の中に持つことが、大切だと思う。この、死者が生きている自分たちを見ている目というのは、キリスト教的な人間から隔絶した神の視点とは全く違う。けれども本当の自分、裸の心をじっと見ている眼だ。怖いようだが、私の中では、この死者の目が大きな支えになっている。

 こうして、体験を深めていくことが、生きている時の死についての学びなのだと思う。

 

 

見るものと見られるもの

ある女性写真家の自己実現 

 先日、何となく好きで読んでいるブログ(野口整体とは無関係)に、唐突に知人の写真家(故人)の名前が出てきて、驚いた。でもそれは、その人の写真がどれほど高い評価を受けていたか、名が通っていたかを、私がちゃんと理解していなかったせいで、写真の世界では別に普通のことなのかもしれない。

 私は彼女と会う以前から、ロバート・キャパセバスチャン・サルガドなどの写真が好きだった。落合陽一氏的には「エモい」とか言うのかもしれないが、時を捉える冷静さと感情の両方が感じられる写真が好きだったのだ。

 その女性写真家は、私の師匠の整体指導を受けていて、ちょうど私が入門したのと同じ時期に「プロ志向なしの塾生」になり、一緒に整体の勉強をしていた時期があった。

 彼女はたしか30代終わりぐらいまで、某有名出版社の編集者をしていて、ファッション誌の編集長にもなった。その後、ある有名ブランドのデザイナーに才能を見出され、その専属となったと聞いた。そのブランドは日本語にすると「少年のように」という意味だったが、彼女自身、そんなふうに見える人だった。

 他の塾生と、あるトラブルがあって、指導に来なくなったのだが、先生とはときおりやり取りがあった。

 実際に私が彼女と接したのはほんの短い間で、半年ぐらいのことだったと思う。私はこの人から編集の基本のきから教わって、先生の原稿書きを手伝うようになった。こうした縁もあり、私は彼女に興味津々だったので、仕事や自身についての内面的な話も、先生と一緒に聞いたり、二人だけで聞くこともあった。

 私はこのブログに亡くなった人のことを書くことが多いが、彼女の死は、自死であったという。亡くなったと知って、私はこの人が大好きだったことにやっと気づいた。なぜもっと親しくならなかったのだろうと後悔した。そして私も、今、この人が亡くなった時と同じぐらいの年齢になった。

 このブログにも少し書いたことがあるけれど、ずっと若い時に影響を受けた陶芸家も自死だった。だから私は、良いことだとは思わないけれど、自死をすると、地獄の苦しみを味わうなどという宗教的・スピリチュアル的言説はあまり信じられない。

 まあ、それはともかく、彼女がこれまで出会った人の中でも特に印象深い人であったことは確かだ。私が彼女に出会った頃、彼女は精神的な危機の中にいて、それを何とか経過しようとしていた。

 彼女のような人には、中年期になると、個人的・内面的問題と、表現という外に向っての創作活動の行き詰まりがいっぺんに、共時的に起こってしまう時期があって、「創造の病」とも言うべき状態に陥ってしまうのだと思う。

 それを超えるために、彼女は野口整体の「腰」というものに着目していた。腰によって、分裂した何か(内的・外的両方で)を統合し、自分と対象を一つにすることができると考えていたのだろう。彼女の中には対象と一体化する要求というか、「自他一如」という身体性と、冷徹な客観が同時にあった。もう少し、整体指導を続けていたら…と思わずにはいられない。

 指導の中で「天衣無縫は美ではない」という野口晴哉の言葉を説かれて、はっとしていた彼女の瑞々しさが懐かしい。

 彼女から聞いた話で今でもよく覚えているのは、弟子志望のアシスタントを辞めさせた時の話だ。彼女がその若い男のアシスタントに求めたことは「私と同じものを見なさい」ということだったと言う。

 しかし、その彼にはそれができない、意味が分からなかったのだそうだ。それは写真家として致命的なことなんだ、と彼女は言った。写真を見て感動するのは、写真を媒体として、撮った人のその時の心に共鳴するからなのだ。

 そして私の師匠はそれを聞いて、「そうだ、その通り。整体の観察でもそうだ。同じものを見る、っていうことができないんだ」と言った。初学びの私は、それを深く心に刻んで、先生と同じものを見よう、と決め、それを修行の中心にした。それは今でも変わらない。

「同じものを見る」というのは、「同じ心の状態になる」というのと同じで、彼女は「スチール写真が好きだ」と言っていたが、同じ被写体でも見ようとしている心の角度が違えば、同じものを見ていることにはならないのだ。 

 彼女はもう、この世にはいないけれど、写真は今でも見ることができる。対象と一体になろうとする彼女の集注力、「同じものを見て」という彼女の思いが、今も写真の中には残っている。

発達障害を考える

 最近、「発達障害」という言葉が一般に知られるようになってきたが、最近その発生率は増加傾向にあるといわれている。

 子どもの発達というのは全体が均等に発達するのではなく、身体的には運動系・中枢神経系・皮膚・内臓、心理的にも社会性や認知的能力というように、年齢的に、またその子独自の系統的なピークを持っている。

 だから、その時々に発達の滞りがあれば、それが「発達障害」として残るし、広範に言えばほぼすべての人に、何らかの「発達障害」があると言える。

 また、子どものある時点だけを見て、「発達障害」と断定し、その後変化していく可能性が見えなくなることもあるかと思う。

 子どもはことに変化が大きく、正常と異常の区分が特に難しいとは思うが、一時的に問題があっても乗り超えられれば「正常」で、乗り超えられなければ「障害」、と私は考えている。その乗り超える力に先天的な障害があることが、障害児ということなのだと思う。

 前置きが長くなったが、私の姪(小学生)には発達障害があり、現在、特別支援学級に通っている。私はこの子から多くを学び、心の中に降りていく通路を開くという面では、この子の存在によって、一段「底が抜けた」ように思う。

 お母さんという立場にある人にはやや厳しい内容になるかもしれないが、この子の出生からのことをきれいごと抜きに書いてみたい。また、これは全く個別のケースであって、一般化はしないようにお願いしたい。

 

 姪が嫂のお腹に宿ったのは、私に整体の観察をする眼がぼちぼちできてきた頃のことだった。よい知らせではあったが、その3、4か月前に流産したと聞いていたので、私は「まだ早いのでは」という不安がよぎった。

 当時、40代で乳がんのステージ4という人が師匠の指導に通い始め、私は彼女と親しく話をする間柄になり、彼女は間もなく妊娠したのだった。

 言葉は悪いが、妊娠というのは得体が知れないところがあって、健康だから妊娠するというわけではない。その人の場合、初期に胎児の心音が聴こえなくなっても、母体の骨盤の力がないために流れることもなかった(病院で掻爬した)。

 しかし、本人にとって、その子は最後の希望の光だったので、そのショックは周囲の想像と本人の意識をはるかに超えていて、彼女は混乱し、指導にも来なくなったのだった。そんな辛い出来事の後で、私は余計に不安を感じたのかもしれない。

 しかし、お祝いに家族で集まって食事をすることになって、食事の後、ふと嫂の後ろ姿を見た時、私は愕然とした。嫂と言っても私より若い彼女が、妊娠しているのにも関わらず腰が下がっていたのだった。流産から体(骨盤)が戻っていないのが一目瞭然だった。

 妊娠の経過も思わしくなく、早く生まれた後、ガラス越しに新生児室にいる姪を見た。弱々しい、というのが第一印象で、赤ん坊特有の、全身から発する光のようなものがなかった。あれは赤ん坊が自分に注意を集めようとする気なのだと思うが、それが弱かったのだ。

 私はそれ以前にも、第一子は師匠の個人指導を受けたが、第二子は個人指導を受けずに妊娠・出産した女性が新生児を連れてきた時に、姪が生まれた直後と同じことを感じたことがある。その後、保育園に入り、その子は自閉症であることが分かった。

 その後、一歳になる少し前に姪に再会した時もそれは変わらず、反応が弱かった。そして、私の母からお座りが早くからできるようになった、歯が早くに生えたという話を聞いた。

 整体では歯が早く生えることを注意するけれど、それは一般に思われている以上の意味がある。

 姪は股関節の発達が遅く、二才ぐらいまで歩けなかったが、その他の面でも指摘されることがあり、こども病院で検査を受けることになった。

 そこで分かったことは遺伝子異常と脳圧の問題だった。そして保育園で発達の遅れが指摘され、言葉の訓練なども受けるようになった。

 気づくのが早かった私は、検査を受ける前、兄と電話で姪のことで言い争い、検査の後の対応も部分的でピントがずれているように思え、そのことで自分の両親ともしっくりいかなくなった時がある。

 フェルデンクライスに学び、動きから脳のはたらきを変える発達障害の子どものための身体技法を開発したアナット・バニエルは、発達障害の子を「Special Needs(特別な支援を必要としている子)」と呼ぶ。

 その子が何を必要としているのかを理解することは、すべての子どもに必要なことで、発達の遅れが見えたら一日も早くそれに応えなければならない。

 しかし両親、また両祖父母が心から発達障害を受け入れ、理解するというのは、「言うは易く行うは難し」という言葉そのものだということも、私は身を以て思い知られることになった。

  また、野口先生は、両親、祖父母を含めた潜在意識の問題を説く一方、子どもが生まれることには、個人を超えた宇宙の意志がはたらいているとも言う。私は姪を通じて、それは別々のことではなく、つながっていることなのだと知った。

 長くなったが、すべての子どもとお母さんにとって、妊娠と出産、子育ては幸せな時間であってほしい。整体の智慧がそれに役立つことを願ってやまない。

(補)哺乳類の育児行動は、子どものにおいや動き、反応など、子ども側が発する感覚刺激によって促される面があり、子どもの反応が弱いと育児行動が十分に促されず、母親が仔を食べたり放棄したりすることもある。人間にもそういう面があり、子どもが持っている注意を集める力、また要求がはっきりしていることは、母親のマザーリングを促し、安心感や充足感を母子で共有することにつながる。

 

50代を長くする

ゲゲゲの世界 

 数日前、水木しげるの『古代出雲』(角川書店)という漫画を読んだ。やっぱり期待を裏切らない面白さだった。私は、あまり人に話したことがないけれど、じつは私は子どもの時から水木しげるの漫画が大好きで、霊界への入り口がないかと探したり、空想したりしていた(変な子ども…)。

幻視をリアルに表現したような、濃密な自然界を描いた背景、霊魂や妖怪と人間の関係などに、相当深い影響を受けていると思う。

 水木しげるは娘に「手塚先生の漫画は夢がある。でもお父ちゃんの漫画は夢がない。」と言われ、「バカヤロー、俺は現実を書いているんだ!」と言ったそうで、あの世界観は水木しげるに観えている現実なのだ。

 まあ、水木しげる野口整体はつながりが全くないが、漫画つながりで言うと、以前、野口晴哉先生の、白土三平にはまった小学生の話を月刊全生で読んだことがある。

 ある時、野口先生は、母親から「小学生の息子が漫画ばかり読んで勉強もせず夜更かししている」という相談を受け、その子に「君、漫画ばっかり読んでるの?」と言った。するとその子は「先生、読んだことあるの?漫画は面白いよ、勉強はつまらない」と答えたという。

 そこで野口先生は、その子がはまっている白土三平を読んでみたところ、本当に面白くて、お母さんの読む三文小説よりずっといい内容であることが分かった、という話だ。その後、その子にどういう指導をしたのかは忘れたが、漫画浸りではなくなったようだ。

 あの野口先生が、子どもに反論されて実際に漫画を読んだことにも感心したが、その後、古い月刊全生を見ていたら、おそらく白土三平の御家族の方が『カムイ伝』を寄付したことが載っていて、それにもびっくりした。

 野口先生本人は、15才で道場を開くという天才であった故に、子どもの時間が短くなってしまったことは否めない。現役生活は普通の人よりもずっと長いし、仕事と時間の密度は計り知れないが、60代で亡くなったのは、子どもの時間が短かったこともあるかもしれない。

 野口先生は晩年、日本が長寿社会に入った頃、長く健康を保つためには「50代を長くする」ことが大切だと言っている。

 50代なんて言うと、もう晩年気分で終活のことまで考え始める人がいるが、それは確実に30代とは違う体の変化を実感するからかもしれない。

 でも、一生が長丁場となってきた今は、20歳に成人式があるのと同じように、発達段階として50歳を考える必要があるのではないかと思う。

 それは、実社会に入る20歳の成人式とは違う、もっと精神的な意味の発達、もっと言うと死や霊性といった世界に接近するための、心の準備段階だ。

 私自身の体を考えても、生物的には(つまり♀的には)老いてきたと思うけれど、体の構成物質が変わりつつあるような気がする。物質的な成分でできていた体が、気というか、もっと透過性のある素材に変わっていくような感じだ。それは死に近づくということなのかもしれないが、これから必要な体の変化なのだと思う。

 つまり、いつまでも若い時と同じように運動したり、頭を使ったりするのが元気とか健康なのではなく、違う健康生活がある、それが50代から始まるということではないだろうか。

 水木しげるは、『古代出雲』を書いた理由として、60歳ぐらいから古代人らしい若者が夢にしばしば出てきて、滅ぼされた古代出雲人の無念をわかってほしい、古代出雲のことを描いてくれと頼まれたからだといっている。

 体があって、この世を生きている人間にしか、この世での仕事はなしえないので、体をもたない古代の霊がそれを訴えに来たのだ。

 水木しげるは20代からその気が大いにある人なので、一般化はできないが、40代でやっと売れっ子漫画家になった頃には「妖怪いそがし」に取りつかれて、漫画量産に追われていた忙しい時代もあった。しかし49~51歳で、「妖怪いそがし」と縁を切り、仕事をセーブするようにしたという。

 日本の霊とか魂の世界というのは「思い」の世界で、心の世界が深まっていなければその声は聴こえない。本当に、潜在意識の世界が霊の世界とつながっていて、霊の思いを生きている人間が受け取ることが、死者の霊を慰めるということなのだと思う。

 だから、思いを受け止め、理解することができるようになるというのが、50歳で目指す発達段階なのではないだろうか。そういう心と体を生きている間維持することが、50代からの健康生活に必要なのだと思う。若い時も、年をとっても、自分中心になってしまうのが人間なのだけれど、きっと野口先生は、15歳の時からずっとそうしてきたのだ。私の師匠の修行も、そういうことだった。

 なんだか不思議なことを、とりとめもなく、思わず書いてしまったが、もうすぐ夏だということで?ご勘弁いただきたい。

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妖怪いそがし(水木しげる)人間がこの妖怪に憑依されると、やたらに落ち着きがなくなる。しかし不快な気分ではなく、忙しく動き回ることで、なぜか安心感に浸ることができ、逆におとなしくしていると、 何か悪さをしているような気持ちになってしまう。

 

子どものつぶやき

 前回「おっぱいとおへそ」を書いたのは、窓を開けたら、偶然、小学生の男の子の「あー、おれ、保育園戻りてえよ。」という大きなつぶやきを聴いたのがきっかけだった。

 思わず笑ってしまったが、自分が書いたおっぱいとおへその愉気の文章をふと思い返し、人間はまずおへそから分離し、その次は離乳して、個体化していくんだなと思った。それで、あれを書いたのだった。

 でも、彼の「あー、おれ、保育園戻りてえよ。」というつぶやき(tweetっていうのかな?)には、どんな理由があったのだろうか。

 過去に戻りたいというのは、今、何か不適応な状況がある、ということなのだろうが、2020年に子ども・思春期時代の只中にある人は、かつてない体験を、大人の判断でいやおうなしにさせられてしまった。

 外出自粛期間中、中高生が一人でランニングしているのをよく見かけた。最初は、近所のスポーツ強豪校の男子生徒だと思ったが、そういう子だけではなく、女の子たちまでも走っていた。思春期の子にとって、走るというのは、抑圧から自分を解放するための特別な意味があるのだろう。みんなの思春期エネルギーが、切なくもいとおしかった。

 日本の小児科学会は、感染抑止のための長期休校に反対表明を出したという。最初の彼のつぶやきが新型コロナウイルス絡みではないといいなあ。

 

おっぱいとおへそ

乳房とお臍の愉気

 最近、乳房とお臍の愉気についての文章をこのブログとは別のところで書いた。乳房の愉気はもちろん女性向けで、授乳期に乳腺が痛む時に行われるものだが、普段からこの乳房の愉気を行うことをお勧めする…という内容。

 女性にとっての乳房(解剖学的に、読みはにゅうぼうで)というのは、子どもの頃のある日突然、自分のコントロール外で大きくなりはじめ、後々まで大きいだの小さいだの、同性、異性両方からいろんな価値評価を下されるという微妙な部分だ。そういう意味では男性の…に共通したところがあるような気がするが、この辺にしておこう。

授乳にしても子どもが飲むのであって、自分が飲むわけではないし、体の一部としては、わりと客観的というか、対象化された存在として感じることも多いのではないかと思う。

 著名なハリウッド女優が、ゲノム解析の結果、乳がんになる可能性が高いということで、がんになる前に乳房切除し再建手術をしたというニュースを読んだことがあるが、そういう感覚の延長線上にあるのかもしれない。私には想像するしかない感覚ではあるが。

 ただ、女性特有の臓器というのは、切らなくてもいい場合であっても切除を勧められる傾向があるのは気になるし、多くの女性がそういうことに受け身であるのはさらに気になる。

以前、個人指導に来た軽度の卵巣脳腫がある女性が、医師から「もう必要ない臓器だから」と切除を勧められたと落ち込んでいた。彼女は閉経しているけれど、「必要ない臓器」は言いすぎだと思う。

 やはり卵巣嚢腫が見つかった他の女性は、夫に「医師から、もう必要ないからと切除を勧められた」と言ったら、夫が激怒し、医師に「お前の○○も使わないんなら取っちまえ!」と言い返した…という話を聞いたことがあるが、これは感情的な問題だけではなくて、医療的にはその方ががん化の可能性が少ないとしても、臓器として揃っていること、開腹しないことは健康に生きる上で大きな相違につながるのだ。

 話はそれたが、乳房というのは、月経や排卵時、また感情的な抑圧があって胸が硬くなった時、痛んだり張ったりと緊張と弛緩のリズムが明瞭に表れるところでもある。

 見られるものとして対象化されやすい乳房ではあるが、自分で触れて状態を確かめることは、乳がんという問題とは別に、独立した大人としての身体意識、体との関係性を育てる上で大切なことだと思う。

また、この愉気によって胸椎部が広範囲に弛むので、やってみてほしい。

 それからお臍だが、これはかつて命綱であるへその緒があったところだ。お臍の愉気は、母体から分離してまだ日が浅い、赤ちゃんや子どもの病症経過を手伝う時に行う愉気法として知られている。

野口先生は赤ちゃんの活元運動誘導にも勧めていて、私も眠っている二歳ちかくの子(やや大きい赤ちゃん)にやってみたことがある。

 その時、眠りが浅かったこともあり、その子は寝たまま活発に活元運動をして、治まったらすーっと呼吸が深くなり、熟睡に入っていった。最初に手が行って、異常感があったのは肝臓のある位置だったが、活元運動はお臍がいいようだ。

 大人にとっても、お臍は内臓の状態を表現し、お臍の愉気でぎっくり腰が良くなることもある。大人には鳩尾の愉気が勧められることが多いように思うが、私は「自分の中のこどもに手を当てる」という意味も含め、お臍の愉気も併せて勧めたい。でも、大人の活元運動の誘導は、頭の愉気の方がいいかもしれない。

 人間は、面倒を見てもらうよりほかない状態で生まれてきて、ほかの動物より独立するのに時間がかかるし、脳と体、全体がバランスよく、滞りなく発達するのも難しいし、大人とはどういうことかの定義も、時代によって変化する。

 でも、自分で自分の感情を鎮めて落ちつくことができること(対人関係のためというより健康を保つために)、自分の体のめんどうを自分で見ることができること、は基本要件と言える。それから、闘い、行動する勇気を持つこと、自分と違う他者の存在を受け入れることかな。しかし、最初の二つができない人のなんと多いことだろう。

 自分に対する愉気はそのための修行であり、全体的な成長から取り残された発達の滞りを、成長させていくこともできる。

 愉気法と言うと、人にやってあげたいという人が多いが、その前に自分の心と体に手を当ててみてほしい。

 今回、ちょっとオトナ向けだったかな…。

補足

 乳房の愉気は、右側は左手、左側は右手で脇から少し持ち上げるようにすると良い。

「理解されたい」という思い、表現、そして「対話の要求」

対話の要求

 先日、やり取りをするようになった編集者の人に「活元運動の動画を見せてほしい」と言われ、えーっ!と思ったが、私は思い切って自分の活元運動を撮ってみることにした。

 それで誰かにカメラを借りようと思ったら、なんと動画の撮れる一眼レフカメラをただで貰うという運びになって、もうやるしかないと思い、見てもらうことになった。

 最近、YOU TUBEなどでも活元運動の動画をupしている人がいるが、私はやったことのない一般の人に、「活元運動はこういうものだ」という固定観念を植え付けるだけで、良いと思ったことはない。

 石原慎太郎氏は活元運動の実践者だが、「夫婦の間でも見せるものではない」と自著で言っていて、私も活元会や個人指導という場以外では、そういう感覚の方がまともではないかと思っていた。だから私が活元運動を自撮りして人に見せるなんて青天の霹靂なのだ。

 そして、簡単にメールで説明をつけて、動画を見てもらったのだが、この説明が意外なほど反応がよく、なるほどー!と言ってくれた。

 今、温めている企画のたまごがあって、それが実現するかどうかはまだ分からないのだが、私は「理解された」ことがひどく感慨深かった。

 活元運動というと、実践している人であっても、一般に「理解されない」と思う人が多いのではないかと思う。実際、野口整体に関心を持つ人であっても、活元運動がハードルになって深入りしない人も多い。

 私は普段から、「野口整体をやる人とやらない人の違いとはどういう所にあるのだろう」と思うことが多かったが、ことに新型コロナウイルスパンデミックがあってから、それが溝というか見えない壁があるかのように感じるようになっていた。

 それが、「理解された」ことで、一気に霧が晴れたような気持になったのだった。

 

 そんなことがあった後、、ジョン・レノンのソロアルバムを聴いていたら、昔から好きな二曲(Isolation・Real Love)の中に「I don’t expect you to understand(理解されることは期待していない)」という同じ言葉が入っていることに、今頃になって気づいた。

 これがジョン・レノンのよく言った言葉なのかどうかは分からない。でも、「理解されたい」という気持ちがあるから、このように言うのだろう。ジョン・レノンでもこういう気持ちがあったんだな…とつくづく思うとともに、表現の原動力というのはこういうものなのかもしれない、と思った。

 他者に理解されたい、と同時に、自分でもとらえきれない自分を理解したい、という気持ちの両方があるのだろう。私がこんな私的なブログを書いているのも、きっとそういう気持ちがあるからで、ことに私はそういう要求が強いのではないかと思う。だから理解されないということが、ごく小さい時から不満だった。

 体癖で言うと、開閉型9種というのはそういう感受性が強いと言われる(ジョン・レノンは違うと思うが、成育歴によってはそうなる)。野口先生も、もちろん両親などには理解されなかっただろうし、私の整体の師匠もそうだった。私にもこの困った体癖があって、理解されないことに孤立を感じるし、愛するということは理解することなのだと思っている。でもそれは、体癖以前にある、人間の要求でもある。

 私の整体の師匠は、ことに「自分は理解されない」という思いの強い人で、実際、整体協会の中でもそうだったようだ。整体指導者になる4段位の試験でも、まだ若かったこともあり、野口先生と臼井栄子先生だけが認めてくれたとのことだった。

 野口先生が亡くなった後は一人で自分の個人指導を深めていって、それを本に書いたのだが、先生は「自分が変わったのは思ってもみないほど多くの人に理解されたからだった」と言っていた。

「理解されたい」という気持ち、「理解されない」ことに対する不満。それは、人間には「対話の要求」があるからだ、と野口先生は言った。注意の要求というのもあるが、対話の要求はもう少し人間ならではの要求ではないだろうか。

 自分が心から大切だと思っているものに理解が得られるということは、本当に、自分を変え、世界を変えるぐらいの力があることなんだな…とつくづく思った。