アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

親知らずが生えてきた!1

私の発達遅滞と親知らず

 このところ、野口整体を愉しむ というブログで「子どもの操法」についての野口先生の講義内容が紹介されていた。そこで「子どもは発達途上の存在であり、その滞りを観る」というところを読んでいたら、あろうことか!私に親知らずが生えているのに気づいた…。歯茎が切れて白い歯が出ている。

 私は頸椎の調整が割と好きなのだが、このところ首が硬いのを自分で調整してもすぐ戻ってしまい、困っていたのだった。こういうことだったのか、不覚…。あー、恥ずかし。「何やっとんじゃ!そんなことも判らんでどうすんじゃ!このたわけが!」という名古屋弁が霊界から聴こえてくる…。これは共時性シンクロニシティ)か、お前も発達途上であるというお告げなのか。ちなみに私は親知らずが生えてくる一般的な年齢はとうに超えている。

 私の親知らずは本当に不思議で、25才の時に歯科でレントゲンを撮り、親知らずの状態を見てもらった時には「この年齢でこんなに歯が小さくて奥に引っ込んでいるのでは、おそらく一生生えないでしょう。」と言われた。

 その先生はアメリカでの研修から帰国したばかりで、アメリカでは親知らずを使ってインプラント(さし歯)を作ることもあるという話をしてくれた。そして、親知らずはまっすぐ生えてくるなら抜く必要はない、万一生えても私の歯は真っ直ぐ生えるだろうと言っていた。

 それが整体を始めてから、下顎の親知らずがどんどん発達し、5~6年後に生えてしまったのだ。あの時の下顎の骨が動く痛みは相当なもので、しかも骨盤も一緒に動いたので腰も痛くて大変だったが、今回は上の上顎の右側の、その部分が痛いのと頸椎二番・四番の硬張り、右の頭の第二付近の痛み、右目と右肩の違和感、喉にも違和感がある。

 何となく、下顎の方が腰から頭という流れが強くて、今回は首・頭の変動を強く感じる。親知らずは上の方が生えにくいそうだが、やはり上顎と下顎では違いがあるようだ。

 左側も触ってみると今にも出てきそうな感じだから、生えるかもしれない。すると私は親知らずが四本とも完全に生えることになる。

 そういう人は今の日本人には少ないようだが、縄文人は八割の人が完全に生えていたそうで、少し前に書いたアボリジニは、親知らずが四本ともきちんと生えるのが人種的特徴なのだそうだ。私も整体でワイルドになったのだろうか。しかし、親知らずは「智歯」とも呼ばれれ、頭のはたらきと歯の生え方には密接な関わりがある。

 こういう大きな変動があると、体の不思議さにはいつもながら驚かされるが、私の場合は発達の滞りがあったという面がやはり見落とせない。今回読んだ講座の内容でも発達の滞りと頭の関係について述べられているが、今起きている変動と子どもの変動の起き方には不思議と似たところがある。 成長の力というのは何才になっても遅れを取り戻そうとするものなのだ。

 それと、18、9才の時、私はPrinceの“When Doves Cry”という曲がすごく好きだったのだが、なぜか今、すごく聴きたくてそればかり聴いてしまう。親知らずが生える平均年齢の頃で、ちょっと退行現象も起きているのかな?でもPrinceの不謹慎でせつない楽曲は、今聴いてもやっぱりいい。

 そして、変化はもう一つある。私は整体の先生が亡くなってから、心臓にちょっと変動が出ていて、胸に痛みが差し込む時や拍動が強くなる時があった。たいしたことはないのだが、今までにないことだったので気にならないわけではなかった。これには、やはり方向喪失という面が影響していたし、私の臆病さ(小心とはよく言ったものだ)が課題になっていたのだと思う。

 それが最近になって、左から少し右寄りへと異常感が移り、しばらくしたら異常感そのものがなくなった。そうしたら親知らずが生えてきたのだった。私はもしかすると、ようやくショック状態と病症を経過して、一段階大人になることができたのかもしれない。

 親知らずが生えるのは病症ではないけれど、変動はいつも、心とともにある。

 

もうひとつの世界

他界論と霊学 

 私は学生の頃から民俗学に興味があるのだが、それは15才の時の祖父の葬儀がきっかけだった。

 大工の棟梁だった祖父の葬儀は、もちろん長男が取りしきったのだが、この時、長女だけが行うとされている葬送儀礼を行ったという話を聞いた。それは海につながる川に髪の毛と、何か(忘れてしまった)を一緒に流すというもので、葬儀の陰でこっそり、誰にも見られぬよう行われた。

 それは祖父の強い希望だったようで、この地域の人皆が行うわけではない。でも昔は皆やったことなのかもしれないし、もしかすると祖父が関わっていた秋葉山の修験的な葬送儀礼なのかもしれない。

 私は祖父が亡くなった時行った葬送儀礼がどういう意味だったのか、強く関心を持つようになった。そして、今生きているこの世のほかに、もう一つの世界があることについて、もっと知りたかった。

 民俗学的には「他界論」と言うのだが、それは海や山といった自然界、神の領域のことでもある。祖父の地元は黒潮文化圏に属し、神社やお寺の正門が南(海の方)を向いていることが多いが、これは黒潮文化圏では死後の世界は海にあるという信仰があるためで、海から黒潮に乗ってやってきた人々の出自(ルーツ)を物語っているといわれている。

 以前、吉野の修験僧のことを書いたが、その人の先代の菩提寺は当時私が住んでいたところの近くにあったのでお墓参りに行ったことがあった。そこは曹洞宗のお寺で、門は矢張り南向き、先代のお寺は海に面した斜面にあって、海のかなたを望んでいるようだった。

 なぜ修験の大先達が、曹洞宗の、しかも海のすぐ近くのお寺を選んだのかは分からないそうだが、曹洞禅と修験というのは意外と関係があるし、折口信夫などが言うように、日本の古代宗教は、海と山との間(関係性)に根源的な何かがあるように思う。川はその通路であり、水は命の流れとも言える。

 しかし、大学などの学問的研究というのは、あくまで客観的にそのようなことを研究するのであって、実際にそういう信仰や世界観を持つということではないのが不満だった。私は祖父が持っていた信仰と世界観そのものを知りたいし、近づきたかった。今にして思うと、私にとっては民俗学が霊学のようなものだったのだろう。

 その祖父が、地震や何か非常事態が起きた時、「自分だけ助かろうとするな」と教えてくれたことがある。私が小学生になって、学校で初めて防災訓練というものに参加した時のことだが、自分さえよければいいという気持ちで人を押しのけて逃げたり、食べ物などを独り占めしようとする人は、生き残れないと言われた。

 この時教えてもらったことは、私の心の奥深くにまで刷り込まれていて、東日本大震災の時、スーパーに行って買い占めで空になった棚を見た時もこの言葉を思い出した。最近もまた、どういう関係があるのか分からないが、お米の棚が空になっているのを見て、暗い気持ちになった。

 今回新型コロナウイルスの発生地となった中国は、まだ普通選挙が行われたことはなく、科学技術と資本主義化だけが過剰に早く進んだものの、民主主義や人権、人々の意識など近代化途上のこともまだ多い。

 昔、私は雲南省の山奥で少数民族のおばあさんに会ったことがある。当時、内陸部にも急激な変化の波が訪れていたが、まだその部族は昔からの母系社会と通い婚を続けていた。
 家長であるその人は、日本のような囲炉裏の傍にじっと坐っていた。中国語(共通語)はできないようで、その家の娘の許に通ってくる夫(彼?)は、「この人は話をしようとしないんだ」と言った。でも、私が正坐で手をついて礼をすると、一言も言葉を発さず、笑わなかった女性がにっこり笑った。
 その時私は、この人は太古の意識のまま現代を生きていて、この心のまま死のうとしているのだと思った。あの人ももう亡くなっただろう。日本もそうだったが、共産圏だった中国はそれ以上に自分たちの根っこを切り捨ててしまっている。

  自然に対する畏敬の念なしに、効果だけを求めて密輸した動植物を処方するのではもう伝統医学ではない。これは整体も同様で、裡の自然や生命に対する礼を失ったら、もう効果などないし、命脈は絶たれるのだと思う。

 中東地域も、オイルマネーは潤沢にあっても「フェラーリは好きだが民主主義は嫌い」と言われる地域で、宗教対立の中心地だ。過激な原理主義と貧富の差、伝統と自由などいろんなアンバランスがある。

 このような、人間と自然、伝統と近代、貧困と富、個と全体など、様々な対立と関係性の乱れが生じている象徴的な場所で、まず不安という集団心理があり、それから感染症が起き、世界中に広まっている…というのも、何か意味があるのだと思う。野口先生も集団心理と感染症の大流行には密接な関係があると言う。おそらくウイルスだけの問題ではないのだ。

 野口先生が生きた近現代は、本当に戦争と感染症、そして近代科学の時代だったけれど、新型コロナウイルスのニュースを見ていると、問題は何も解決していないし変わってもいないことを思い知らされる。

 

 余談だが、野口先生は太平洋戦争中、「三脈をみる(註)」ことを会員に教えたそうで、東日本大震災の時、私も整体の先生にやり方を教わった。

  近い未来に起こる生命の危機を、潜在意識は知っていて、それが体に顕れるというのは不思議なことだけれど、まず自分が「大丈夫」を確保するための良い方法だ。新型コロナウイルスには直接効果はないけれど、非常事態が起きた時のために覚えておくといいかもしれない。

(註)三脈の法 

親指と中指を下顎骨の下にある左右の動脈に当て、もう片方の手で、首に当てている方の手首の動脈(親指寄り)に指を当てる。

何でもなければ、この三か所の脈は一致しているが、脈がばらばらに打っている時は身の危険が迫っている。どうすればいいのかはその時の自分の勘と判断によるしかないが、とりあえずその場を離れ逃げること。

元は諸葛孔明が用いたという古代中国の方法。江戸時代から医師などには知られていたという。

黒潮文化圏

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石器時代から、黒潮の流れに沿った人と文化の交流があり、宗教・生活文化などに共通性がみられる。この文化圏を黒潮文化圏という。

 

人間の自然 前回からの続きで、新型コロナウイルス

「裡の自然」

近頃〝自然〟ということが盛んに言われています。つまり、山へ行けば自然であるとか、木が在れば、それで自然だとか言っているが、そうではない。一人一人の人間の生き方が体の要求に沿っていくことが自然な生き方だ、と言わなくてはならない。

そういう意味で、山に登ったからといって自然に近付くわけではない。眼をつぶって、自分の意識をなくして、もっとその奥にある心に触れるとか、自分の無意識の動きに生活を任せる方が、却ってその中に自然というものがある。

だから外にいろいろ求めるよりも、自分の裡(内側)の自然を先ず掴まえだすべきで、それには活元運動は近道です。

野口晴哉(『月刊全生』) 

前回からの続きで、新型コロナウイルス

 前回書いたように、以前、広東省から流行したSARSキクガシラコウモリが感染源と特定され、今回の新型コロナウイルスセンザンコウという密輸された動物が取りざたされている。そしてMERS-CoV(中東呼吸器症候群コロナウイルス)はヒトコブラクダだった。

 コロナウイルスの種特異性は高く、種の壁を越えて他の動物に感染することは殆どないと言われており、おそらく中国人(ことに飛ぶものと四つ足のもので食べないのは飛行機と机だけと言われる広東人)がキクガシラコウモリに触れる(食用にするのか漢方に使うのかわからない)機会は昔からあったが、これまではSARSのような事態にはならなかったのだろう。

 またヒトコブラクダと中東の人々の関係は紀元前数千年という長い歴史があるにも関わらず感染が起きた。(センザンコウも、漢方でこれを処方する歴史はそれなりに長いのだろう)

 感染源はこれ、と特定されると、なんだかその動物が突然危険な存在になったかのように見えてしまうが、実際には人間の側が変わったのだろう。 

 仏教には「顛倒(てんどう)」という言葉がある。これは「逆さまになった心」という意味で、怒りや恐怖、不安などの不快情動によって物の見方や考え方が、本来あるべきものとは逆になっているということだ。

 これは整体的というか、東洋的に言うと、上虚下実という本来あるべき姿が上実下虚という逆さまな状態になっているということだろう。ちなみに上虚下実というのは、頭はすっきりと無になって、下腹に気が充ちているということだ。この状態にある時、人間は自然であるということができる。

 野口晴哉先生の逆子の治し方で有名な話として、お腹に手を当てて胎児に「君、逆さまだよ」と言うと、おりこうさんはすぐにぐるりと戻るというのがある。わが師の指導では、母親の身体が、臨月近くに何かで気が動転して(顛倒!)上虚下実の反対の「上実下虚」になっていて、指導の後、上虚下実に戻ってしばらく横になって休んでいたら子どもがぐるりと戻った、という例があった。「これは、子どもではなく母親が逆さまになっていたんだ」と先生は言った。

 前回書いたアボリジナルアート展に一緒に行った友人は、日本伝統の自然崇拝的宗教である神道にも関心があり、食べ物なども自分で有機無農薬の野菜を作っているほどだ。

 しかし、人間の「裡の自然」という意味では、その人は残念ながら自然とではない状態にあり、これが人間の免疫系のはたらきに深く関係している。

 数年おきに新しく動物由来のコロナウイルスによる感染症(新興感染症)が発生するという事態では、近代以来のワクチン接種による予防や抗生物質などの化学療法を対抗手段とするのは難しいと言われている)。

 近代化を境に、人間と自然の関係が大きく変わってしまった本質的な原因は、人間が裡の自然を失ったことにある。身体的なメソッドとして効果の高いもの、ということではなく、野口整体の中にあるこのような哲学を実感する道として、実践を深めていくことを忘れないようにしたい。

追伸 前回、頂いたコメントの

流行する病気には
時代を修正する働きが
あるのかもしれない。

と、国立感染症研究所HPのおかげで大変勉強になりました。

どうもありがとう。

 

新型コロナウイルスとアボリジナルアート

 知人のお誘いで、伊勢丹新宿店にアボリジナルアート展を見に行くことになった。しかし、待ち合わせの場所になかなか現れず、しばらく待っているとトイレの中からマスクをした人が出てきて手を振るので、よく見るとその人だった。

 何だか肩で息をしていて、神経過敏になっている様子だな…と思っていると、「今日の話は疲れた…」とその人が話し始めた。

 その人は「カタカムナ」という日本古代の言霊学的なもの(違うかな?ちゃんと理解しておらず申し訳ありません)を勉強していて、その帰りだったのだが、先生が遠隔療法の話をしはじめ、それがその人の許容範囲を超えていたようで、重く受け止めてしまったようだった。

 野口整体にも遠隔療法はあるのかと聞かれたので、私は「今、公式にそういうことをしている人や教えている人はいないと思う」と前置きした上で、私が整体の先生からもらった講義ノートの中に出てきた野口先生の遠隔療法(愉気)の話を少ししながら歩いた。

 歩きながら、その人は「コロナウイルスなんか何のそので歩いているな」と言った。私は「ああ、あのマスクは花粉症ではなくてコロナウイルス予防だったのだ」とその時になって気づき、「私は感染しないと思っているから」と笑った。

 しかしあまりにその人が疲れ切っているので、喫茶店で少し休み、背中に愉気をすることにした。中途半端にやると疲れるのだが、仕方がない。

 体が縮み上がって、身を守るように捻っていた。なんだか怯えているような様子なので、手を当てて話を聞くと、今日の講義はひどく熱が入っていて、先生の勢いに圧倒されてしまったことが分かった。

 その人は一見そうは見えないが、実際、かなり気が弱い人なのだ。おそらく、コロナウイルスにびくびくしつつ、負けん気で新宿まで出てきたところに、カタカムナの先生がカウンターパンチをお見舞いし、少々混乱してしまったのだ。落ち着いてくると、その状況が自分でもわかってきたようだ。

 それでも愉気をすると気が下がり、コーヒーとサンドイッチで気を取り直すことができた。そして目的の会場へと向かった。

アボリジニの絵は感動的で、一点だけあった手描きバティック(ろうけつ染め)の「ブッシュ・メディスン」という絵と、ハリー・チュチュナという人が描いた「マイカントリー」という絵が気に入った。アクリル絵の具で描いた絵ばかりなのが少々惜しい気がしたが、アボリジニには使いやすいのだろうか。

プロデューサーの内田真弓さんに話を聞くことができて、「ブッシュ・メディスン」の意味を質問してみた。内田さんの説明では、「薬草」という意味なのだけれど、その薬草と見つける過程、それを用いる意味についてなどの物語があり、それを描いているのだという。確かに彼らがブッシュ(植物の茂み)を見た時に、どのように見えるかを描いているとわかる絵もあった。

「マイカントリ―」というのも、彼らの見ている土地の姿であり、現代的な人とは異なる意識の次元で捉えている現実を描いているのだ。現代アーティストにもそういう創作活動をしている人はいるが、アボリジニの絵は健康で生命感があって、見ていて疲れるということがない。

 しかし、捉えている現実が人によって違うというのは、じつは私たちにも日常的に起きていることで、例えばコロナウイルスの脅威というのは、私の現実には無いも同然のことだが、怯えて体調を乱してしまう人も存在する。こういうことはささいな価値観から大きな世界観に至るまで、広い範囲で存在していて、心の世界は一人一人違うものなのだ。はい、整体的には感受性の相違、というやつですね。

 駅までの帰りには、一緒に行った人も「コロナウイルスの影響なんてさほどでもないな…」などと言うので、「そんなにすぐ感染するものじゃないよ」と言っておいた。

 ちょっと「なんだかな…」と思ったけれど、体の観察からその人の心の世界が垣間見えるというのは、やっぱり面白い!と思った。

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ハリー・チュチュナ「マイ・カントリ―」80代後半の男性画家。子どもの時は狩猟採集生活をしていた。部族の長老であり治療者でもあるという人。 現代の生活しかしたことのない画家と、そうでない人の絵は違う感じがするのは、仕方がないのだろうか。

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シュタイナーの黒板絵「心臓」。なんだかちょっと似てるかな?

(註)アボリジニ
オーストラリアの先住民族。無文字、農耕・牧畜をしない新石器時代の人類の生活と心性を近代まで保持していた。アボリジニの神話的世界観と生命時間を物語るのが「ドリームタイム(ドリーミング)」というもので、これを観ることのできる意識状態に入るための瞑想を行う高度な精神文化を持つ。アボリジニの長老は次のように述べたという。

ほうぼうの土地や動植物を何らかの目的で利用したり、食べたりする場合にはまず、土地や動植物の夢見(ドリームタイム)に入り込む術を身につけなければならないんじゃ。
白人たちは、そんなことはいっさいしない。
だから、病気になったり、気がふれたりして、身を滅ぼしてしまうのじゃよ。
ロバート・ローラー(著)長尾力(訳)「アボリジニの世界」

(註)新型コロナウイルス
 中国で発生した新型コロナウイルスについてはまだよく分かっていないが、重症急性呼吸器症候群コロナウイルスSARS-CoV)に経過が似ていると言われている。
SARSキクガシラコウモリというコウモリからヒトへと種の壁を越えて感染したのが発端だった。死亡した人の多くは高齢者や、心臓病、糖尿病等の基礎疾患を前もって患っていた人で、子どもには殆ど感染せず、感染した例では軽症の呼吸器症状を示すのみだった。
今回の新型コロナウイルスは「センザンコウ」(漢方に使う)という動物からの感染が疑われている。インフルエンザと同じ呼吸器を中心とした疾患ではあるが、動物から人間へ感染した過去のコロナウイルスは、多くの臓器に広がって様々な症状を引き起こした。今回の新型コロナウイルスも全身的な症状が起こることがあるという。
人が日常的に感染する風邪も4種類のコロナウイルスによるもので、風邪の10~15%(流行期35%)はこれら4種のコロナウイルスを原因とする。
冬季に流行のピークが見られ、ほとんどの子供は6歳までに感染を経験する。

 結核、ペスト、、重症急性呼吸 器症候群(SARS)、新型インフルエンザウイルス感染症エボラ出血熱、伝達性ウシ海綿状脳症などは、野生動物を自然宿主としてこれまで長い間存続 してきた微生物が家畜、家禽、さらにはヒトへ侵入・ 伝播して感染症を引き起こす人獣共通感染症と考えられている。


 

日本の身体文化と着物

 着物と身心の中心

 20代前半の頃、着物を着る機会があり、式場で着付けをする仕事をしていた伯母に着付けをしてもらったことがあった。

 その時、伯母は着付けをしながら「この子には腰がない。だから下腹で中心を合わせようにも合わせられないから着付けがしにくいし、こういう体はすぐ着崩れる。今の若い子はみんなそうだ。」と私に言った。

 この「腰がない」「中心が(下腹に)ない」という言葉の意味が分かる人は、今、どれくらいいるのだろう。私もその時、はっきりと意味は分からなかったが、ものすごく本質的なことを指摘されたと直感し、どきっとした。

(ちなみに伯母がここで言う「中心」は「背中心」という背筋のことではなく、下腹の中心のことを言っている。)

 そしてその後、伯母はお茶を飲みながら、最近の若い子が花火大会などで浴衣を着ている姿を嘆き、「昔は娼婦でもあんな風ではなかった」と言っていた。

 伯母のこういう話を聞いて、私は着物に関心を持つようになり、幸田 文の『きもの』という小説を読んだ。

これは母親になぜか疎まれている少女が、祖母に着物の着方を通して心の持ち方を教えられ、成長していくという物語だったが、着物には自分で着るだけではなく、人に着せるという文化があって、着せる時にその人の本質が観えるのだということを知った。私はこの小説に日本人の身体感覚と心の機微も教えてもらった。

 その後、私は野口整体を本格的に学び始め、30代前半にまた着物を着る機会があって、あの伯母に着付けをしてもらった。伯母は私の腰紐を閉めながら、ちょっと驚いたように「ん?あんた、低いわね…」と言った。

 それはさながら、おぬしできるな、というようなニュアンスで、実際の年齢よりもやや低めの位置に帯を締めることになった。

 その時の着物が、祖母の形見だったこともあってか、母は「老ける」と言って気に入らない様子だったが、伯母は「年齢よりも中心が低いのはいいことで、こういうのは粋上品と言うんだ」と言った。

 先の『きもの』という小説の中でも、おばあさんが娘らしい着物を好かない主人公の好みを「粋上品」と言ってかばうところがあって、私は「同じこと言うんだな…」と思った。そして、帯の位置は伯母の決めた通りにしてもらった。そして、20代前半の時の私とは違うことを伯母が分かってくれたような気がして、嬉しかった。

 たしかに20代前半に着物を着た時、あまり快適な感じというのはしなかったのだが、整体を始めてから着た時は本当に快適で、着崩れることもなく食事もおいしく食べることができた。

 この時、めずらしく日本料理の料亭に行ったのだが、そこのかなり年配の仲居さんにも着物と着付けを褒められて、「何か(お稽古事)されているんですか」と言われた。私は「野口整体です」とは言いづらく、「いえ、特に」とごまかしたが、分かる人には分かるんだな…という思いだった。

 着物の帯の位置というのは、体と心の成熟度や安定性を意味していて、武家の男の子の元服の儀式では、それまでお臍のあたりだった帯の位置を下腹の丹田の位置に締めるとのだが、これも自分ではなく親せきや知人の大人の男性が締めるのだという。15歳でその位置では低いのだが、そうやって大人としてあるべき心の状態を身体感覚的に教えるのだ。

 20代前半の私は、まだ本当に子どもで、自分の心も進む方向性も分からない、苦しい時期だった。精神的にも不安定で、自分に信を置くことができず、拠り所を求めているような状態だった。

 これは整体を通じて学んだことだが、相手の中心というのは、まず自分の体の中心を下腹に決め、自分の体と相手の息と体に合わせることで捉える。すると相手のことが不思議と感じとれるようになってくる。

 あの頃、私は誰にも言えなかった本当の心の状態を伯母に見抜かれ、「腰がない」「中心がない」という言葉で言い当てられたような気がして、どきっとしたのだ。そして、整体と出会ってからの私は、それだけ心と体が成長したということだろう。

 整体を始めてからの自分の変化として、整体の先生にこの話をした時、先生は本当に喜んで、何度かほかの人にもこの話をするように言われた。この出来事を思い出すと、90歳を超えて健在の伯母に、もう一度着物の着付けをしてほしいなあと思う。

 

病症が身体を治す

病症の意味を理解する 

 前々回書いた内容についてのコメントを頂いていて、そのことについて書きたいな…と思いながら書けなかったのだが、ちょっと書けそうな気がしてきたので書いてみる。でもきっとちゃんとはまとめられそうもない…。

 

 以前、私は、整体の勉強を本格的にするかどうかを決めようとしていた頃、普通小学校のクラスで、多動と自閉があると言われている男の子の学習介助をやったことについて書いたことがある。

 弟子入りするために引っ越すことを決めた後、その子と離れ難くなっていた私は、学年末に思い切って「六年生になったら、私はもう来られなくなる」とその子に話した。すると彼はあっけらかんと「○○さん(私の名前)、死んじゃうの?」と言った。

 私はその言葉にはっとして、「さよならとは、少しの間、死ぬことだ」という古いハードボイルド映画の探偵の台詞を思い出した。彼がなぜそのように理解するようになったのか分からないが、感傷に浸ることのない、彼の禅的ともいえる言葉が今でも強く印象に残っている。

  今回、コメントしてくれた人の話に入ろう。

もしかしたら病気以外の事故や破産、

大切な人との別れと言った人生の打撃全てが

魂が自らを成長させるために

無意識に引き寄せる事なのかも知れません。

病気を経過することによって得られる果実があまりに大きく、

現在の、その人にとって様々な意味において

背負いきれない影響を及ぼすとするなら、

死という道を選択し、さなぎと成りながらメタモルフォーゼを待つ。

という事もあるのでしょう⋯

 と言う。

 確かに、子どもの感染症のほぼ全てが免疫獲得と発達に必要であることはよく知られているし、病症が始まるときというのは、偏り疲労が限界に達してそれを打開しようとする方向に移り始める時だ。経過が乱れたり慢性化することもあるが、最初はそうだ。

 前回、頸椎の痛みのことを書いてはみたものの、プライバシーに配慮が足りないと思い削除したのだが、頸椎というのは情動的なショックが最初にあって、そこから立ち直ろうとして痛みや障りが起こることが多い。

 痛みのある部位にヘルニアがある場合も、以前からそこに歪む癖がある、また下腹の力が弱くて重心が高く、頸で衝撃を受けやすいという前提がある場合が多いのではないだろうか。そして情動が起きた後、身心の安らぎが得られず弛めない時、強い痛みが生じるのだ。

 様々な出来事も、それができるかどうかはわからないが、今の自分を超えるために、無意識的に自らそれを招くのだろう。

 がんになるということは、身心の深い層で分離が起き、その分離した部分が全体的な秩序に従わず暴走しているということだと思うが、がん細胞そのものは「死なない細胞」であるというのは本当に不思議だ。深い絶望と、生きようとする生命の葛藤なのかもしれない。

 先生は晩年、自分が個人指導をする意味を問い続けていたのだと思う。先生の個人指導は潜在意識を中心としていて、受ける側がそれを意識化し、理解する、言語化するという面を重視していた。

 それは野口先生との相違であったと思うが、それでも相手は無意識のまま、またさほどとは感じないまま終わるという部分は相当にあって、指導者が関与することの意味も、実際には相手によく分からないということも多い。

 それに耐えていくのが修行と言えばそうだが、身体的な実践で体験する内容というのはその人がどういう理解をしているか、どのくらいの信があるか、どのくらい心を開いているかによって変わる。

 命を削るように指導しても、受ける側は浅い理解になっていく一方のように感じられたのではないだろうか。そういう問いがあって、先生は未刊の原稿に取り組み続けていたのだと思う。

 ちょっと先生と先生の指導を知らない人には理解できない内容になってしまったが、きっと先生は、野口先生の下で再び修行をしているに違いない、と私は思っている。

 (補)「さよならとは…」
wikiによると、『長いお別れ』の中のフィリップ・マーロウの言葉。
私の記憶は映画だったのか、小説だったのか分からなくなってしまった。
原文は「To say Good bye is to die a little.」、
村上春樹訳では「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」。こっちのほうが正確。
さよならを言うのは、少しの間、相手の日常の中から消えることという意味。
また会う時までなのか、死後生までなのかは分からない。

野口整体ってなんだろう

気は心と体をつなぐもの

 最近、出版関係の仕事をしている女性二人とお会いして話をする機会があった。一人は30代後半、もう一人は50代前半である。

 その時、話の流れで「整体協会の代表者は世襲で、指導者も世襲が多い」という話をしたら、一人には驚かれ、もう一人には笑われてしまった。「そ、そんなに変かな…?」と私の方こそびっくりしてしまった。二人とも前衛的な仕事をしているわけではなく、ごく普通の感覚の持主だ。

 野口晴哉先生が亡くなる直前、最高段位の10段位を出したのは故・臼井栄子先生おひとりだったと聞いている。こうした経緯などをみても、野口先生が自身の死後、世襲を望んでいたとは私には思えないのだが、会員を含め、組織の中で世襲という体制を望む人が多いために、そのようになっていったのではないかと思う。

 だから、あまり変だとも思わなかったのだが、それは私が外部の人間で、自分とは直接関係ないことだと思っていたからかもしれない。やはり一般には「整体協会ってそうなんだ」ではなく「野口整体ってそうなんだ」という見方になるので、そうなると私も無関係ではなくなってしまう。野口整体の特殊性を、こういうところからも感じる人がいるかもしれないな…とも思った。

 また、二人に「体の構えを覚えるための型の練習がある」と言ったら、これも茶道や武道なんかの稽古みたいだと驚かれた。やはり「野口整体はふつうの整体と何が違うのか」ということを、相手にわかる言葉で話をする必要があるんだなと思う。

 そういう場合、私が一番伝えなければと思うのは、「気は心と体をつなぐもの」、つまり心と体の両面に関与するのが整体だということだ。

 やはり、何が原因でこうなっているのか、そして病院で治療を受けるとしたらどういう問題があるのかまでを一連のものとして理解するには、自分の心のはたらきを含めて、実感を持って理解する必要があると思う。