アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

野口整体を探究・実践する「整体生活」について

活元運動をやってみよう

活元運動について

 野口整体には活元運動という有名な行法がある。野口晴哉先生は晩年、活元運動を中心にした指導に移ろうとしていたと聞いている。
 整体に理解や関心のある人でも活元運動をやらない(または出ない)という人がいたり、逆にやみくもに活元運動をやっている人がいたりして、あまり理解と普及が進んでいるとは言えない状況にある。

 やっぱり活元運動は、本人が活元運動をどのように理解しているかが本当に大切で、野口整体における活元運動として行うから活元運動になる、というものだ。
 単に、変性意識状態で身体運動を誘発するとか、ひとりでに動く不思議な運動というものは、活元運動以外にもあるし、以前紹介した『霊療術聖典』にあったように、霊動法という活元運動の大本となった行法は、現代よりも昭和初期あたりの方が普及していたぐらいなのだ。
 また、実際の指導においても、活元運動は、あまり干渉せずやりたいようにやらせておけばいいという考え方が強い傾向にあるが、活元運動はただ動いているというだけでは本当に出ているとはいえない。
 体も心もひとつになって活元運動に入るというのは、経験しないとどういうものか分からないので、意識して動かそうとしていないのに動いているとなれば、活元運動が出た!になってしまうのだろう。それだと、早晩「これって何なんだろう」というぐらいの認識で、質の向上にまでは踏み込めない。
 このブログでは、普段言い難いことも書こうと思っているので書くのだが、多くの場合は、頭がぽかんとしない、頭が抜けない状態でやっていて、その範疇を出るのが難しい。
 しかし、本人が「これでいいのだろうか、本当に出ているのだろうか」などと考えていると、活元運動はますます不自然になったり動かなくなったりしてしまう。それぐらい心の状態に密着した微妙なもので、ちゃんと出ていないとか、あまり指摘しても逆効果になってしまう。やっぱり一番いいのは、個人指導を受けることだと思うし、質というものがあることをぜひ知ってほしい。
 しかし、それでもやはり、どんな活元運動でも、やらないよりやるほうがいい。活元運動の本当の意味というのは、意識が自分のすべてではないということを体感することにあって、その心理的な作用というのは計り知れないものがある。
 もちろん脱力とか、錐体外路系の訓練という目的はあるから、運動そのものの進歩も大切だが、潜在意識、無意識の実在とそのはたらきを体感するには活元運動が一番いいと思う。
 潜在意識や無意識は、ややもするとトラウマやコンプレックス、抑圧感場など、暗い衝動や情念がフォーカスされやすい。活用法としても、毎日、寝る前に「○○…」と言いなさいとか、引き寄せなさいとかいうもので、本心では半信半疑になってしまうものが多い。
 活元運動を通じて、本来、潜在意識や無意識というものは、「生きる」という方向に向かっていく、良くなっていくはたらきなのだということを知り、それが自分の本体として活動していることを知るというのは、他にないことだと思う。
 そして病症観も、体が何か意味のあることをやろうとしている、という見方に変わっていく。活元運動で治そうとか、よくしよう、というのではなく、生命のはたらきそのものに対する信頼ができていくのだ。野口先生いちばんの願いは、きっとそこにあったのだと思う。
 活元運動、ぜひやってみましょう!

 

潜在意識に降りていく「通路」としての病症

意識と無意識を再統合する試みとしての病症

 私は、指導の申し込みを受ける時、通院しているという人にはどんな薬を飲んでいるかを質問することにしている。今は、本当に薬を飲むことや手術に対する感覚が変わってきており、薬の話をするのが難しく感じる時もある。

 私が特に疑問を感じるのは、身体症状の訴え(器質異常のない不定愁訴的な)に、向精神薬に分類される薬がすぐに処方されることである。

 実は、私も今から20年ぐらい前に、某県立総合病院の「心療内科」を受診したことがある。私の場合、検査しても器質異常はどこにもなく、私の腰と下肢の痛みは「気のせい」であるという診断だった。

 後に、整体の先生に、「その時、気のせいだと言われた」という話をしたら、「そのとおりだよ。なんでも病気は気のせいだ」と笑っていた。

まあそれはともかく、当時、私がまだ若かったせいもあるかとは思うが、こういう場合に薬(ことに向精神薬)を処方するということはなかった。

 病症には、ストレスという心理的なはたらきが大きな要因となることが一般に広く理解されるようになるのはいいことだが、ストレスである「不安」や「落ち込み」を向精神薬でコントロールすることが治療法、という流れには非常に危険を感じる。

 それに、飲む側が「治療薬」と思い、向精神薬という理解がないまま飲んでいることもあって、今はwebでも薬の情報は開示されているのだし、整体とは関係なく、薬は体にいいわけではないという知識を持つべきだと思う。

 やはり整体を本当に、身をもって理解するためには、痛みと病症に対する受け取り方が変化していくことが最も重要なのだと思う。それは潜在意識のはたらきを、身体感覚で感受しその意味を意識化する必要がある。

 

 私の知人に整体指導者の娘がいる。母親が整体と出会い、整体的子育てがしたい、という一心で産んだ末っ子がその人だった。

 しかし子育てを通して、母はいよいよ整体にのめり込み、整体指導者となった。その人は母親の関心が整体に集注していくことで不満と不安がつよくなり、物心つくころには重いアトピー性皮膚炎になっていた。

 思春期になれば治る、体が大人になれば治るという、母による整体の通説?に反し、その人のアトピーはがんとして治らなかった。これは母親に対する反発が相当あってのことだろうと思うし、私が体を見せてもらった時も幼さが色濃く残る体で、注意の要求が充たされずに育ったことが伺えた。

この人の母は、整体指導といっても体の側面だけで、潜在意識の方面は、あまり関心がなかったようだ。

 そして整体指導者であった母は癌になり、末期になってから病院に入ることを説得し、病院で亡くなったと聞いている。彼女の整体に対する反発は頂点に達し、貴重な資料のすべてはゴミにしたという・・・。

 そんな彼女が整体に目を開かれていったのが、亡くなった整体の先生の個人指導を通じてだった。彼女のアトピーは、彼女の強い感情と葛藤を表出し、調整するという意味があり、彼女はアトピーの激しい症状を通路として、潜在意識に降りて行ったのだった。

 アトピーは更年期に入ると次第に鎮静化するという説もあり、皮膚疾患のいきおいとしての側面を見落としてはならない、と先生から教わった。

 整体指導は体から心へという働きかけが中心ではあるが、心理的側面を自覚するための指導が、これからの野口整体の存在意義であると私は思っている。

 

個人の理解

個の理解と潜在意識

  先日、ある人に亡くなった整体の先生の著書を送ることがあった。

 この著書は先生の整体指導をまとめた本で、野口整体関連の本と言うと方法論的なものが多い中、潜在意識と個人指導の体験談などが盛り込まれた内容だった。今は絶版になっているが、5刷まで版を重ねた。

 しかし、この本を出した出版社の社長は、大変失礼なことに著者を目の前にして「この本がなぜ売れるのか分からない」と言った。

 先生は、「分かる人には分かるが分からない人には分からない、というのが潜在意識や気というもので、出版社より一般の読者の方が理解力があるということだ」と、先生も本人に直接言っていた。

 やっぱり著者が主観で捉えた世界というのは、読む人も主観で(知的にではなく心、そして身体感覚で)理解する必要があるのだが、先生の著書は中○公論の編集者にも「普遍性がない」と言われたことがある。整体の世界を表現する、伝えるというのは本当に難しい。

 そんな先生の本なのだが、送る時、この本の帯に使った野口晴哉先生の若い時(昭和8年)の言葉を久しぶりに目にした。それは次のようなものだ(帯に使用したのは最後の三行)。

いのちの智慧は総てを知る。

之に任せて生くるものは、無限成長のいのちの導きに接することが出来る。

いのちの真理を悟らぬことが、行詰りの本当の原因だった。

眼玉を捨てろ。

意識から離れろ。

然らば、道は自づから開かれる。

 これは、まあ自慢なのだが、何刷りかの時に帯を変えられることになった時、先生に「帯に使えるような野口先生の文章を探してこい」と言われて、私が野口晴哉著作全集の中から探してきたものだった。

 文句なくカッコいいし、帯のキャッチコピーとしても完璧!と、私は当時思ったものだ。先生もほぼ一択という感じでこれに決めてくれた。

 確かにこれは、創成期の野口先生のスピリットというか、勢いが漲っているし、野口整体の精神を鮮烈に伝えていると思う。

 しかし、今振り返ってみると、晩年の弟子であった先生につながるものを選んだ方が良かったかな・・・とも思う。

 この部分が入っている文章の全体は、「「全生の会」発足に当って」という題で、生命という大きな視点から人間を観る視点から全生について述べられていて、集合的無意識という面を強く感じる。

 そういう面は野口先生にはずっとあると言えばあるのだが、晩年は「個人の理解」という面が強くなっているように思う。

体癖についても、「良い子どもが生まれるには体癖的な相性が重要と考えていたが、最近では個々の成熟度の方がずっと大切だと思うようになった」と、晩年述べているのを読んだことがある。

 先生の観方は、というより実際に人を観察する場合は、「個」を理解するというところからしか入れないのだが、やはり「大きなお話」より、個人的なことに重点が置かれていたし、個がはっきりしてくることを指導のメルクマールにしていた。それが先生の指導の個性であったと思う。そして、個性というのは、客観ではなく主観(感情と感覚)で捉え、理解するものだと言った。

 まあ、昭和八年当時の人達の方がずっと個性がはっきりしていて、今の私たちの方が個性化していない(だから個の探究を強調するようになった)という事情もあるのかもしれない。

 今だったら、こういう内容はどうだろう?ちょっと長いけれど、紹介しておきたい。

 

医学という学問では、個人ということをことさら抜いておき、個人の体力やら個人の生活をみんな抜いております。それはいろいろな違いがあったのでは迷惑ですからヒトというカタカナで書いて、生物学では人間一般を表わしております。

こういうものだけを研究している。ほんとはヒトではなくて人の内臓の研究なのです。個人個人がいないのです。医学的な技術には個人がいないから油断しているとモルモットにされてしまう。

個人の為に行なわれるのではない、学問の為に行なわれるからだとも云えるわけですが、まあその点運動系の機構を丁寧に扱っていくと、そういう個人から離れての運動系はない。

個人の暮し方はいつでも運動系に表現があり運動系には個人の生活の歴史がある。そんな面で運動系の観察ということを丁寧に行なっていくことが、個人を理解する近道になると感じるのです。

(1967年、先生が入門した年の初等講座での講義より)

大人になること―『嫁と姑 上』を読む

大人になるってどういうこと?

 前回、shigeseitai2さんにコメントを頂いた。率直な心情が伝わってくる内容で、お人柄が感じられるコメントだったこともあるけれど、コメントって、本当にうれしいものだな・・・とつくづく思った。

 最近、ブログにコメントを書く人が減っているような気がするが、これは炎上や荒らしが頻発したからだろうか。

 でも、ブログの持つ双方向性は、大切にしたいと思う。twitterなどより、ブログの方がきちんとテキストで対話ができるし、私もないように共感したら、もっと書くようにしてみようかな。

 そういうわけで、前回に引き続き女性の心と体について考察しようと思い、野口晴哉著『嫁と姑 上』(全生社)を読み返してみた。

 この中で野口先生は、姑の中に若い時と変わらない「女」があることと、嫉妬の問題について微に入り細を穿って述べており、女って悲しいな・・・と気が滅入るぐらい、人間の裸の心に迫る内容である。

 私はその故にこの本をきちんと読んでおらず、今回初めて真面目に読んだことを白状しておく。

 そして野口先生は、「良い姑になるにはどうすればいいのか」というと、「成長して大人になること」だと言う。ここが今回の我田引水ポイントなのだが、野口先生は同著で次のように述べている(「女」というもの58頁 先ず大人になること)。

 自分の言おうとしたり、自分のやろうとしていることが自分から出発しているだけのうちは、まだ子供なのです。子供も一年近くなると、自分以外に他があることが判る。

 更に自分と相手の他にもう一人見物人がいる、世間があるというように、三つが見えるようになると、大人の世界に入ったと言える。自分と世間しか知らなくて、お嫁さんを感じないというのは大人ではない。

・・・自分と相手とそれに世間がある。主観的なもの、客観的なものの他に、主観と客観を一つにしたものがある。一が二になり三になる。三より万物なるというのが老子の最初の(始まりを説く)言葉です。そういうようにみんな三つの見方からできている。

 それから動作が身についてこないと、相手も知り、自分も知り、世間も知っているということにならないから大人になれない。

(註)『老子』第42章

「道は一を生ず。一は二を生じ、三は万物を生ず。」(道が一気を生じ、一気が分かれて陰陽の二気を生じ、陰陽から沖和の気が生じ、沖和の気から万物が生じて調和と平衡がもたらされる、の意。

 

 私は前回、女性というのは「自分を見てほしい」という注意の要求が強いこと、人に認められることで自分の存在感を確かなものとして感じる傾向があると書いた。

 野口先生はこの本の中で、良い姑(あるいは嫁)と認められようとしている人は「自分がどう思われるだろうか、という自分のことしか考えられない」と言う。それも子どもということなのだ。

 野口先生が意味する「人間が大人になること、成熟すること」とはどういうことなのかというと「個人を理解する」ことができること、である。個人というのは家庭や社会における立場や役割のことではない、「この人」のことだ。

 野口先生は、指導者になる人に、澄んだ心で「松の木を松の木として見る」ことができるようになることを求めるが、それと同じことをこの本の中でも説いている。

 過去の経験や感情、自分では意識しない感情が感受性に反映し、その感情に色づけられた先入主から事物や人を見てしまうものなのだ。その上、性もあれば体癖もある。そういう体のレベルから、自身と相手を理解するというのが、大人になるということなのだ。

 そして野口先生は、活元運動を勧めている。体の弾力がよくなれば、過去からではなく「今」の心で、ありのままを観ることができるし、自分の要求と行動がすっきりつながることで自分の中も明瞭になる。

 こうして、身体の行が心に及ぶことで、人間は大人になる・・・と野口先生は説く。

 こういうことは、女性のみならず男性にも通じることだ。さっきの三から万物が生ずるという原理から言うと、両性具有的というか、性を超えた観点を持つことが、大人になる、そして心の自由や人に対する愛情に通じるのではないだろうか。

 中年期の心の発達の課題に取り組んだユングは、「心理療法は人間を成熟に向かわせるためにある」と言った。野口先生は『嫁と姑』で、大人になるには(自分以外の人間を理解し、大切にする重要性を実感として体で知っていくには)50年か60年かかると言っている。

 やはり大人になるには、年だけではなく修行が必要ということだ。がんばりましょう。

 

女性の体と心の成長

 女性の体と心の成長

 私は、はてなの「野口整体を愉しむ」

shigeseitai2.hatenadiary.jp

という野口晴哉先生の講義内容を紹介するブログを読んでいるのだが、このところ、お題として夫人操法が取り上げられていた。

 その中にこんなくだりがあった。

 女は、力のあるうちに、そういう「化月」をしたほうが良い。男は七十でも八十でも「回春」処置はすべきだと思いますが、女は若さが残っているうち、まあ五十になったらそういう事(化月)をとったほうが、その後ずーっと長生きする、丈夫になる。

 そうは言っても、それを理解するのは大変なんですよ。みんな若いほうがいいと思っている。

 こういう発言をする野口先生も勇気があるが、このブログの管理者も勇気があると思う。女を敵に回すのが怖くないのだろうか?

・・・というのは冗談で、これは野口晴哉先生の、女性の深層心理と心の成熟を踏まえた観点だと思った。

 野口先生の『女である時期』(全生社)という名著があるが、このタイトルは月経がある期間における女性の体と心を端的に表現している。月経が終わると同時に、女である時期が終わる、と多くの女性が思うし、体の面からもそう言える部分が多い。

 しかし、それはある意味、生物的な自然に支配されている時期、とも言えるのではないだろうか。本当に、ある種の他者性を感じるくらい、性の力が女性の身心を支配する力は強い。

 それに、女性というのは「自分を見てほしい」という注意の要求が強くて、自分に自信がなくなるとそれが強くなる。そういう心理の大本に、体が「女である時期」にある、という事情があって、本能的欲求ともつながっているわけだ。

 一概には言えないが、更年期に女性の病気やがんが多くなる背景には、女としての要素が失われていくことが自分の自信喪失につながって、かくれた「注意の要求」が影響していることがある。しかもそれは、精神的に若い時のままの人が多く、「愛されたい」、「認められたい」要求の強い傾向がある。

 その一方で、夫の方は活躍の場や人間関係が広がる充実した時期に入っていったりすると、妻が病を得る・・・ということが起きる場合があるのだ。一言で言うと「嫉妬」、自分の存在感が失われていくように感じる、という問題である。そしてそれが夫を苦しめる方向に向かうこともある。

 今は、女性のいつまでも若く美しくありたいという欲望も、ある程度実現できる技術が進んでいる。しかしそれは、更年期を過ぎても心理的に「女である時期」を終わらせることができない、という人間の自然とは離れた方向を向くことにもつながるのだ。

 私は、乳がんの末期で妊娠したが、子どもの心音が聴こえなくなって掻爬した女性に出会ったことがある。彼女は妊娠を奇跡と喜び、一縷の望みをかけていた。

 掻爬の直後、彼女は出産直後のように、冷たい水が小指に沁みると私に訴えた。彼女は混乱し、生と死の区分まであいまいになっていた。

 まだ40代半ばで、女の体に起こりうる悲しみと苦しみのすべてが、彼女の身に起きているかのように見えた。そして彼女は私とは違う方向を向き始め、もう後戻りはできなかった。

 その半年後位に彼女は終末期で入院し、私は最期と思い、会いに行った。

 彼女は「野口整体を勉強したい」と言った。そして自分がなぜこうなったのか、よく分かると言ったのだった。その後、奇跡的に退院したが、その半年後、彼女は子どもたちを遺して自宅で亡くなった。

 私はあの時のことを、彼女のことを忘れることができない。彼女といると、自分と相手との境が薄れていくようだった。

 初めて会った時、私はずっとずっと以前から、この人を知っているような気がした。私と彼女は体癖も共通していて、似た者同士だったのだろう。

 少々、私が会った人のことを一般化しすぎているかもしれないので、それは割り引いてほしいのだが、とにかく女である時期をすっきり終わらせ、感情の整理ができるようになって、自分の心を明瞭にするというのが、この時期の女性の課題なのではないかと私は思っている。

 また女性が皆、化月操法をする必要があるという意ではなく、こうした野口先生の講義内容から、主体的に女である時期を卒業する姿勢を学ぶという点に意味がある、ということも押えておいてほしい。

 それにしても野口先生は、人間が自分以外の人間の身心に関与することの限界に迫った人なんだな・・・と思う。

 今回はshigeseitai2さんにお題を頂きました。ありがとう。

疳の虫

子どもの「おなか痛い」が表現するのは 

 私は小さい時、すぐ「おなか痛い」という子だった。子どもの「おなか痛い」は、「いや!」「さみしい・・・」「こうしたかったのに・・・」など様々なことを表現しているのだが、私の場合は体癖的に「いや!」が激しいのに、それが表現できないのがたまると「おなかが痛い」になる傾向があったのだと思う。

 小学校低学年の頃だったか、前後関係があまり思い出せないのだが、その日、母はどこかに出かけようとしていた。私はその都合で母の実家に預けられることになり、何か自分のやりたかったことができないという事態になった。それに、そのこと以前から「いや」が溜まっていたような気がする。

 そして私の「おなか痛い」が始まった。そこで母は私を実家の近くの内科に連れて行く段取りをつけ、私は嫌々出かけることになった。

 以前にも書いたが、母の実家の祖父は秋葉山に行っていた人で、私が行くことになったのは、祖父の知り合いの古い病院だった。

 母の強引さに腹を立てていた私だったが、大好きな祖父に会うのはうれしかった。

 連れていかれた病院は、おそらく戦前の建物で、重い木の扉を開けると薄暗い廊下の左手に受付、右手に待合室があった。待合室は明るい畳の和室で、お腹の大きい女の人からお年寄り、男の人に子どもといろんな人で混みあっていた。

 母に「いっぱい待つの?」と聞くと、私が診てもらうのは老先生で、皆が待っているのは若先生だから、それほどでもないと言う。その通り、私の順番はすぐに回ってきた。

 私は一人で古い建物の薄暗い廊下を通り、老先生の診察室に入った。診察室は明るくて、老先生は私を見るとすぐに「おまえは○ちゃん(祖父の名)の孫か」と言った。

私が「はい」と言うと、先生は小さな丸椅子に私を座らせた。今思うと、それまで診察の時はいつも母がいたので、私が一人で医師の診察を受けた初めての時だったのだと思う。初めて会ったのに懐かしい感じのする人だった。

老先生は聴診器を当てながら「どうしたんだ」と聞き、私は「おなかが痛い」と答えた。

 先生は私を診察台に上がらせ(高くて手伝ってもらった)、お腹の触診を始めた。先生の温かい手がお腹に触れると、私はお腹が痛かったのなんかどこかに行ってしまったような気がした。

 先生は私を全く子ども扱いせず、「いつから痛いのか」「どういう風に痛いのか、しくしくか、ずきずきか」、また「ここは押えると痛いか」などと次々と質問し、私は一生懸命答えた。医師に自分でこんなに説明するのは初めてだった。

 すると不意に先生は「今、お腹痛いか?」と聞いた。私は虚を突かれてしばらく黙ってから「・・・痛くない」と言った。

 すると先生はぱっと手を離し、笑って「これで今日はおしまい!お薬は、なし!」と言った。私はあっけにとられ、そのまま外に出た。本当に薬の処方はなく、私は母と病院を後にした。

 母はそのまま私を置いて出かけ、祖父は私に会うとすぐに「どうだったんだ」と私に聞いた。私は祖父に老先生の診察のことを話し、「お薬はなし、って言った」と最後に言った。

 すると祖父は笑って「お前には疳の虫がいるからな」と言った。

 疳の虫・・・。何のことだか分からなかったが、祖父はそれ以上何も言わなかった。

 今思うと、この気の転換の技術、老先生は「玄人」である。西洋医学の医師にも、こういう人がいたのだ。そして祖父も、なかなかの曲者だ。野口晴哉先生の足元にも及ばないけれど、日常の裏側に、こういう心の世界があることを知っている大人って、ほんとうに素敵だと思う。でも、今の日本では絶滅危惧種になっている。

 このところ、成育歴のことを書いているが、私の祖父も、整体の先生も、そして野口先生も、子ども時代がしあわせそのもの、というわけではなかった。

 しかし、「黒い雲の向こうはいつも蒼い」と野口先生が言うように、そういう自分を超えた時、「自分には何も問題ない」と思って生きている人には分からない心の世界が観えてくる。気の世界が開けてくるのだ。東洋的心の自由と言ってもいいかもしれない。

 そして、「疳の虫」がいる私の孤独に、幾度も気づいてくれたのは、そういう祖父の心の眼だった。

 整体の先生が亡くなって、一年が過ぎた。先生はいつか、「野口先生がじぃーっと自分を見た時の眼が、自分の心の中を観る眼になった。自分はその眼で相手を観ている」と言った。そして、いつも野口先生が、じぃーっと自分を観ている気がすると言った。

 死の方から自分を観ている眼というのは、ほんとうの心だけを観ている透明な視線が、自分に注がれているということだ。先生が亡くなって一年。私も先生の死後、その眼が自分を観ていることに気づいた。私の中心をはずさないその眼が、これからも私の支えになって行くのだと思う。

疳の虫 大阪小児科医会HPによると「現代では、夜泣きやかんしゃくなど、主に子どもの心の緊張状態を表す言葉として使われることがほとんど。これらの状態は大体生後6~8か月に最も多くみられる。」とあった。ちょうどこの頃、私は母の入院で父方・母方の実家に預けられていたが、関係あるのだろうか?

気と生命時間

気と生命時間

天の下雷行き、物ごとに无妄を與う。

(天の下で雷が鳴り響き、万物に生命を与える)

先王以て茂んに時に対して、万物を育す。

(古代の聖王はこの理に則り、天の時に応じて万物を育てる)

(『易経』无妄)

 

 中国の古典『易経』は、東洋思想の根幹ともいえる書で、筮竹占いの本というより哲学書というべきものだ。

 この『易経』の中では、すべてのものが、生まれ、成長し、成熟へと向かい、死を迎えるという生命時間の中にあると考えられている。その変化をもたらす力が「気」であり、人間の自然な生き方はそのはたらきに従うことにあるとされてきた。

 最初に引用した「无妄(むぼう)」というのは「じねん(自然)」という意味で、いつわりのないこと、本然の性という意味がある。「天心(天の心)」に適っているということだ。

 整体では「天心」であること、自然であることを中心に置いているが、『易経』の説く自然の理がその大元にある。

 私の整体の先生は、「一側(脊椎の一番際にある線で脳と仙骨部をつなぐ)に愉気することは、その人の過去に愉気することだ」と言った。先生が受けた最初の初等講座で、野口晴哉先生は黒板に「背骨は人間の歴史である」と書いたそうだが、そのことを意味するのだと教えてくれた。

 野口先生は気というものに付いて次のように述べている(『月刊全生』無限なる愉気)。 

天心は自然につながっているのです。だから使うほど良い。愉気というのは自分の力を人に伝えるのではなく、自然の力を通す窓のようなものなのです。だから光(気)を通す毎に窓はいよいよ開いて大きくなる。 

 野口先生は、指導する立場とは「育てる立場」に立つことだと言う。まず自分の体を育てることから始まって、それから人を育てる立場になっていくのが修行だが、育てる力の中心にあるのが「気」、愉気である。

易経』の世界観が述べているように、気というものが万物を育て成熟へと向かわせる力だとすると、それは生命時間の流れであるとも言えるだろう。

 前回書いたように、私には身心の発達が止まっていた部分があったので、指導者の愉気と自分の体に気を通すことで、本来の生命時間(自然)に戻る必要があった。どこかが過去に止まったままではなく、全身全霊が「今、ここ」にあるようにするためだ。

 人によって経緯はさまざまだが、天心を取り戻し、自然に戻ることが整体の目的なのだと思う。整体では、子どもの歯が生えるのも、歩きはじめも「ゆっくりの方が良い」と指導するし、自我意識が早く発達するのを避けるために、鏡も見せない方が良いと言う。意識が早く発達するということは、天心から離れるということでもあり、子どもの時間を長くして、ゆっくり大人になる方が、体が丈夫に育つし長生きできる。

 ただ、成育歴というのは、悩む人と悩まない人がいて、私よりはるかに悪いと思える環境にあった人でも悩まない人もいるし、成育歴による問題が顕在化していてもなお感じない人もいる(それはまた違う問題ではあるが)。

 そこにはやはり自分の性質、感受性というものがあって、私の母はあまり母性的な方ではなく、私は母性を求める性質だったことも関わっているし、宗教性に対する要求のあるなしというのも影響するのではないかと思う。

 先生が亡くなってもうすぐ一年が経つ。修験道の僧は「一年経ったら変わる」と励ましてくれたが、こんなふうに先生が教えてくれたことを思い出すと、やっぱり涙が出る。でも、痛みがなくなって、心が澄んできたような気がする。私は経過しつつあるのだと思う。