アルダブラゾウガメ玄の生活 ― 気は心と体をつなぐもの

整体生活・野口整体と生きることをひとつに

有鹿神社奥宮ーHello Cyclingに乗って

 ついに、今日は有鹿神社奥宮に行ってきた。それも初めてHello Cycling、最近広がっているシェアサイクルというのを利用して。

 初めてなのでちょっとドキドキしつつ、予約した場所で自転車を見てみたら、電動アシスト自転車のバッテリー残量が半分程度しかない!大丈夫だろうか…と不安になったが、2〜3時間だからいいや、と走り出した。

 アシスト自転車はすいすい走り出し、なかなか快適なのだがバッテリー残量がやはり気になってしまう。私は以前、アシスト自転車でサイクリングに行き、途中で電池切れになったことがあり、あの時のペダルの重さを思い出すとついチラ見してしまうのだ。 

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 しかし残量の目盛(4つ)を2つ残して何とか無事到着。照葉樹林の中を歩いて下っていくと、こんな風に原っぱを見下ろす位置に小さな祠があった。そして脇には小川が流れている。流れをたどっていくと、湧水があった。


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 有鹿(あるか)は湧水の古語と言われる通り、きれいな水が湧き出ていた。時期によってはもっと水量は多いのかも知れない。昔は洞窟があったのだが関東大震災で崩落しなくなってしまったのだそう。洞窟見たかった…。

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 この湧水、原っぱ、全体が完結した一つの世界のようだった。ここに縄文人が生活し祭祀を行っていたのだ。何だか時間が止まっているような気がする場だった。


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 薄紫のダイコンの花が群生し、1人で見ていると異界の入口に来たような気さえした。何だか水木しげる的な雰囲気である。この空間にいると、欲が消え去って出てこなくなった。祠に手を合わせても何もお願いごとが思い浮かばない。

 地面にはヨモギオオイヌノフグリが密生し、生命の層ができていた。

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 この道も古くからあるのだろうか。どこかで見たような気がする道だった。

 不思議な空間を出た後、バッテリーが少ないことを思い出し、現実に引き戻された。またメーターをチラ見しながら走り出す。しかしどういうわけかバッテリーがあと2目盛というところから減らないのだ。

 ま、帰りは緩い下り道だから行けるな、と思って途中からはゆったり気分で走ることができた。目盛は2つ残ったままなのが少し不思議だった。

 

寒川神社と有鹿神社

 ちょっと時間があったので、厚木からJR相模線(単線!)に乗って、初めて寒川神社に行ってきた。寒川神社は関東では超有名な神社で、野口晴哉夫人、野口昭子氏のエッセイにも出てくる。

 昭子夫人は近衛文麿首相の長女という生粋の華族出身で、旧華族の間でも崇敬されている寒川神社に御祓に行くエッセイを月刊全生で読んだことがある。

 野口先生自身はあまり御祓などを好まない人だったようで、長女の夭折後、方位を気にしたり御祓に行ったりした昭子夫人を「責任から逃れようとしている、卑怯だ」と叱ったという(『回想の野口晴哉』)。

 それはともかく寒川神社は初詣もすごい人出、各界から、また遠方からも厄除などに参詣者が集まる神社で、古くから相模国一宮とされていた。

 祭神の寒川比女命寒川比古命記紀に出てこない神であり、この地の土着民が信仰する神であったという。大和政権が征服した後、祓と鎮めをした神社であるようだ。

 鳥居をくぐると太鼓の音がどんどんと響いて来て、更に歩くと今度は着物の新郎新婦が歩いて来た。なんて幸先が良いんだろう…。

 お詣りのあと、ピザを食べに行こうと思い歩き出した。土手の菜の花がきれいと思って写真を撮ろうとしたら、空に不思議な雲がかかっていていることに気づいた。何だか歓迎されている気分。

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 途中でスイートピーの栽培ハウスを見つけ、その脇にあった無人販売で、茎丈の短いスイートピーの花束を買った。

 そしてピッツェリア ヴェルデ到着。ロマーノ(アンチョビとケッパー、トマトのピザ)のランチセット。自家製デトックスウォーターを出してくれた。

 お店で畑をやっていて、そこでとれた野菜をお店で出しているとのこと。サラダとマリネは納得のおいしさだった。寒川神社に行くことがあったらぜひおすすめしたい。ピザは薪窯焼で、これも美味しかった。

 例によって料理が出てすぐに食べ始めてしまい、食べ物の写真は撮れなかったので、テーブルのお花を撮ってみた。

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 お店で先程買ったスイートピーを水に挿しておいてくれ、帰りには茎に濡らしたペーパータオルを巻いてくれた。花が好きな人なのだろう。ありがたい、優しいサービスだった。

 そしてその後、思い切って海老名の有鹿(あるか)神社へ行ってみることにした。有鹿神社寒川神社よりさらに古い縁起を持つ神社で、有鹿神社奥宮(元宮)は相模原市にある縄文遺跡のすぐそばにあり、その古さが伺える。有鹿というのは湧水の古語であるようだ。

 祭神は有鹿比古命有鹿比女命、大日靈貴命。相模国はヒメヒコ制だったのだろうか。

 神奈川県と言えば横浜、川崎が中心と思う人が多いが、古くは海老名など県央地域が中心だったのだ。

 次は奥宮に行ってみよう。何だかただの日記だけどまあいいか。

 

よい物語を生きよう

 本当に、本当にひさしぶりのブログ。もう去年の夏以来…。それというのも私は精神保健福祉士の勉強をしていて、年甲斐もなく国試受験なんぞをしていたからだ。

 試験の方は合格、めでたしめでたし…。この資格取得には試験だけではなく実習が義務付けられていて、私もある精神科病院の病棟で実習をし、レポート提出まで完了したところである。

 去年の今頃も、ある時期が終わり、新しいことが始まろうとしていた。今また同じことを思っている。実習が終わってすぐにノロウイルス感染と思われる、酷いお腹の風邪になってしまったが、これも身体の上での1つの区切りなのだろう。

 ただ不思議なのは、夏の実習の後はコロナ、冬はノロウイルス感染症にかかったことである。精神疾患感染症、何か関係があるのだろうか…?もちろん病院では感染対策は万全だった。 まあ今回も無事自然経過し、すっきり終えることができた。

 実習については山程書きたいことがあるのだが、見聞きしたこと一切他言無用の約束があり、書くことはできない。でもこの実習をきっかけに見つけたすてきな食堂があって、レポート提出の帰りに行ってきた。その名も「よい物語食堂」。

 何と600円でおいしいお昼ごはんが食べられる。ランチじゃなくてきちんとしたお昼ごはんだ。おかずと具だくさんのおいしい味噌汁、おいしい炊きたてのごはん。ここに来ると、ごちそうってなんだろう、という思いにかられる。

 地元では知られていて、小さな店内はすぐにいっぱいである。早めに着いて良かった…。秦野市にドライブなど行かれる際はぜひ。


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選べる小鉢二品とデザート


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そして主菜とお味噌汁。食べる前に写真が撮れて嬉しい…。小鉢は食べてしまったが。

https://peraichi.com/landing_pages/view/yoimonogatari/

 

 

新型コロナ感染症を経過する

 久々にブログを書く気になった。人のを読むのもいいけれど、やっぱり書かないでいるというのはつまらない。

 実は私、先日ついに新型コロナウイルス感染症なるものを発症してしまった。ここまで逃げ切ってきたのに…。初めてのことである。

 私の場合は最初に来たなと思った時に少し発熱し、体のだるさ、腰から下の重だるさが強くて、咳が出始めて食欲がなくなり、何となく口の中がいつも苦いような感じで、目の奥の痛みが少し、心臓のあたりが痛むこともあった。

 強い症状は二日ほどで、4、5日で八分通り回復したのだが、だるさと食欲のなさ、喉の違和感がしばらく続き、抜けきるまでに二週間ほどかかってしまった。

 私の感じではやはり脾臓(漢方で言うところの脾という系統)に影響していたようである。操法としては頸椎二番、呼吸活点もポイントだった。

 私の場合、大きな変動は月経と同時期に起こることが多く、そういう意味ではこれまでと変わらない経過をたどり服薬無しで経過することができた。今更ではあるが、やはり実地に自分の体で確認できて良かったと思う。

 以前に指導した人の中にも私と似た症状の人がいて、「やっぱりあれはコロナだったんだな」と思ったのだが、あの時はなぜか発症しなかった。

 やはりその時の体の状態にもよるのだろう。もしかしたら必要性があったのか?でも慣れないことをしていた期間が終わる時で、弛みと疲労が出て来ていたのも事実である。

 それからちょっとあけすけな話になるが、ちょうど症状が出て三日目に月経が始まって、月経三日目に出血がかなり増えた(しかし通常通り終了)。

 原因ははっきりとは分からないが、月経の変化は一定数感じた人がいるようである。脾臓は血液と深い関係があり、そういうことが関係しているのかもしれない。むしろ血液に対する影響が本質であるような気もする。

 まだしばらくコロナウイルスとの付き合いは続きそうなので、参考にしてほしい。

 そしてコロナ経過の後、個人指導をしたのだが、数回の指導を経てついに活元運動(個人指導の中での活元運動で、意識運動ではできない深部のストレッチ的動きが出る)が出たのだった。

 その人も長い徒歩旅行から帰ってきたところで、内的な変化を感じている良いタイミングだったことも大きい。しかし病症経過後というのはやはり何かいい流れが起きることが多く、不思議なものである。

 本当に活元運動が出てくると、自我というものの力のなさ、小ささを感じるようになる人が多いが、今回指導を受けた人もそのように言った。ユングも無意識の広大さと力を知るにつれ、むしろなぜ自我があるのかを不思議に思うようになった、と言っている。

 しかし自我がなければ無意識を意識化すること、発見すること、言語化すること、他者と共有すること、表現すること、できないことがたくさんあるのだ。

 今回、私はある統合失調症の患者に接したことからコロナ感染したのだが、統合失調症の特徴として自我障害というものがある。

 自我というのは人間の身体で言うと皮膚のようなもので、内界と外界を分ける機能と同時に、外界を認識する機能がある(自我の基盤として皮膚感覚を挙げる心理学者もいる)。この自我の機能が弱まり、障害されるのだ。

 またシュタイナーは心臓は自我の座であり、血液は自我の道具であると言う。話がばらばらになっているが、身の回りで最近起きた出来事に共通するワードとして自我があり、自我のあり方を大きく変化させる必要に迫られているような気がしている。

 外界を知覚し、それに応答し行動するためだけの自我ではなく、内界を意識化し、内なる要求と外界の調整役、外界に働きかける主体、外界を感受し心に受け入れる主体としての自我に、である。

 野口晴哉は、「人間の感受性の奥には心がある」と言った。見る、聴く、触る、といった感覚は心の窓であり、同時に心が目を止めるもの、耳に入るものを選んでいる。

 たとえば写真というのは自分が見たものを他人と共有するためにある機械と言えると思うが、対象は同じでも撮る写真は違うように、まず心が焦点を当てるのだ。

 この心というのは、たましいと言ってもよいかもしれない。また、シャッターを押す「時」というものがある。その瞬間はその人だけの時であり、カイロスの時間と言っても良いかもしれない。

 何だかいろいろ分かりにくいことをいっぺんに書いてしまったが、やっぱり明瞭な意識、澄んだ意識を保つことが、これからの世界を生きるための自我には必要である。とりあえずもうちょっとブログを書いて、自分の中を整理することにしよう…。

 

マティス展  The Path to Color

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  このところお金を使うことが続いている。無印良品のサファリハット、そして神奈川県で農業被害を防ぐために狩られた猪の革でつくられたペンケース(猟師の皮屋とこはむ)。

 今日は久しぶりに絵を見にいくことにした。行きたいけどどうしようかな…と思っていたマティス展(東京都美術館)だ。

 私が初めてマティスという画家を知ったのは、小学生の時に父がお土産で買ってきた、ルーブル美術館ともう二か所ぐらいの美術館の図版を見たのが最初だった。

 生き生きとした線、色彩、子どもながらにすごく好きだと思った初めての画家だった。しかしまとまった展覧会を見るのは今回が初めてである。

 外国人観光客も多く、すでに30万人越えの来館があったとのことだが、私が行った日は平日だったので、それなりに混んでいるという位だった。

 キャプションの中でマティスは絵の中に「窓と外の風景」を描くことが多いことについて述べられており、それが非常に興味深かった。それも第一次大戦当時の絵に多いようだ。

 マティスは部屋の中と窓から見える外の風景について、「窓の壁は二つの違った世界を創り出してはいないのです」と言っている。これはマティスの視界、マティスの見ている世界では全体でひとつなのだ。

 窓、といえば私は広重の絵を思い出す。窓というフレームで風景を切り取っているような広重の絵は写真に近いのかな、とふと思った。でも二人とも自分の見ている世界を描いている。そしてマティスも広重も「青」が象徴となっている。


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 晩年の切り絵作品も多く、最晩年のヴァンス・ロザリオ礼拝堂の内装の仕事を見ることができた。

 礼拝堂はマティスの「神を信じているかどうかにかかわらず、精神が高まり、考えがはっきりし、気持ちそのものが軽くなる」場でなければならない、という考えに基づいて創り出された。本当に現代に求められる宗教性が表現されていると思う内装で、ことに生命の樹のステンドグラスが心に残った。

 全体としてとにかく点数が多いのだけれど、フロアで時代区分がなされているので全体がつかみやすかった。そしてここでまた図版を買ってしまった…。物欲が止まらない。

 美術館の後は五條天神社、花園神社、穴神社へ向かい、それから不忍池の蓮を見に行った。朝でないと咲いているところは見られないけれど、今にも開きそうな蕾、独特の青々した葉が一面に広がっていた。


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 お堂からは般若心経を唱える僧の声が聴こえ、蓮池の向こうにはビルが並んでいる。外国人観光客もきっと不思議な光景だと思うだろう。

 そして清水観音堂。今回初めて清水観音堂にお参りしたような気がする。今日はこれで終了。

 マティス展を見ている間は雷雨だったが、お散歩を始める頃には雨は上がり、少しだけ涼しくなっていた。

★夏の身体に

 それにしても暑い日が続く。空調内と外気の温度差は相当になっているし、汗をかいた後に冷たい風に当たるのが避けられない毎日だ。

 とりあえず背中から冷たい風が当たるのは極力避け、頚部が冷たくなっていないか気を付けてほしい。それから時々足首廻しをしてみたり、足を前後に動かして、足首の前側(脛側)と後側(アキレス腱側)を伸ばすと良い。

 それでも汗は体温を下げるために出る塩水というだけではなく、腎機能の一部であり、夏に汗をかくのは身体にとって良いこと、必要なことなので、汗をかかない算段をするよりこまめに拭くようにしてほしい。

 

 

 

女である時期―野口整体の更年期観

…若さを保つようにすることは、健康法としてやる以上は当然のこととして錯覚していたのです。ところが永い経験を経ますと、更年期というのは素早く超えて安定した方が人間として完成し、体も丈夫になり、気持ちも穏やかになる、そして肌も一時ザラザラしていたのがそこから急に立直ってきれいになるし、力の残っているうちに早くそうした方が女らしさも失わないですむということが判ってきました。

…女の人にとっては、早く生殖機械という段階から解放されて人間になる方が健康への近道だということが判るようになってきて、最近ではあまり良心の咎めを感じないですむようになりました。

野口晴哉『女である時期』全生社)

 野口晴哉の言葉というのは現在の考え方にそぐわないこともあり(そぐわなくとも真実であることが多い)、説明に窮することもあるのだが、新しい見方を見出すことも多くある。その一つは女性の更年期についての見方である。

 野口晴哉の言う「女である時期」とは性自認云々という話とは関係なく、妊娠可能な時期という意味であり、女の身心の中心は骨盤の動き、生殖器のはたらきにある。先に引用した内容は更年期障害に対する操法(整えるための技術)をどういう方向に行うかという話である。過剰かつ出口のない女エネルギー?の処理の問題だ。

 操法の細かい話は置いておくとして、私は若い時から野口晴哉が更年期を女であることから解放され、「人間になる」という見方をしているところに非常に惹かれていた。これはユングの中年期・老年期の課題と成長という見方にも通じると思われる。

 今、更年期障害は治療の対象となってホルモン補充療法などが行われるようになってきているが、ずっと「若いまま」でいようとすること、若い時のまま変わらないでいることの弊害についてはあまり考慮されていないのではないだろうか。

 私が指導をしている人の中にも40代後半~50代の女性たちがいる。子どもの有無、仕事の有無、それぞれに違うが、次第になんらかの「喪失感」というものが影を落とすようになる頃であるようだ。

 実際には男性も同じ面があるのだが、女性は閉経という大きな変動があるために心身ともに問題が表面化しやすく、命に関わる病につながったりしやすいのだ。

 中にはほとんど変化を感じず若い時と同じように仕事をし、若い時と同じような上昇志向、また価値観・世界観でありつづける人がいるが、本当に若くて元気であることは少なく、体(身体感覚・感情を含む)と意識(頭)が分離している傾向があるように思う。

 その結果、気づかぬうちに病を得ることもある。また喪失感に呑み込まれてしまうのもあまり宜しくない。

 現代の人は若い、昔の老人とは違うとよく言われるが、2019年の健康寿命は男性72.68歳、女性75.38歳で、1970年代の平均寿命がそのぐらいだった。医療技術の進歩を考えると、それほど今の人が若いと言えるのだろうか…と思う。

 また今、日本の農業を支えているのは高齢者だが、今の現役世代はそこまで動ける体を保てる人がどれほどいるのだろうか。

 ぱっとしない話ばかりではあるが、1970年代、野口晴哉が説いたのは健康に生きる上で大切なのは「50代を長くする」ということだった。40代ではないというのがポイントで、野口晴哉は心身ともに成熟する年齢を50代と考えていたのだ。

 ユングも人間は30代までは「生物的段階」であり、その時はそういう時期として過ごせばいいのだが、40才前後から「文化的(宗教的)段階」に入り内面的な成熟へと向かうのが人間の自然なのだと考えた。シュタイナーも中年期以降に霊学が真に必要になるということを言っている。

 この三名の老賢人は、心が深まっていくと身体が老いるとともに物質性・動物性が弱まり、魂が目覚め始める…と言っているように受け取れるのだが、どうだろう。

 少なくとも、女である時期が終わっても、自分のことばかりになったり、がめつくなったりはしたくない。また更年期=更年期障害=辛く苦しいというのは偏見である。これは生理=生理痛=辛く苦しい、不快という固定観念と同様だ。更年期は思春期のように身心ともに変動する時期なのであり、自然に経過する更年期というのもあるのである。

 年齢を重ねていっても、知らないこと・人に心を開き、他者を理解しその感じ方を大切にしていくことができるようになっていきたい。そのために、身心の自然と弾力を保ち、健康な老いと健康な死について、学んでいこうと思う。

 

そういえば命日

 先月、指導をしている人から何度か症状についてのメール相談があった。整体の師が亡くなったのは5月16日だったのだが、その時火葬場がいっぱいで、1週間ほど待たなければならなかった。葬儀屋さん曰く「5月は亡くなる方が多い」とのことで、一般的に良い季節だとされている時期ではあるが、体の変動が起きやすい時期でもあるのだ。

 これまで5月半ばになると、師匠を偲んだ記事などを書いていたが、今年は忙しさに紛れてそれをしなかった。そうしたら、である。命日を過ぎた頃から何だか気が沈むような感じになって来て、18日頃にたまたま亡くなった後の辛い時期を思い起こすようなことがあり、涙が止まらないという状態になってしまった。

 なんだかおかしい…と思っていたら、偶然見た自死遺族のサイトに命日反応という記事があって、これだ!と思った。こういう時、昔の人は法事をちゃんとやらないからだ、などと言ったのだろう。

 実際にはその頃になると無意識に心が過去に引っ張られ、感情が呼び起されることがあるということなのだと思う。大切なのは何か儀礼的なことをすることで過去に向かっている、つまりちょっと退行している心を今、ここに向かわせることなのだ。そして整理できていない感情も思い起こして浄化しておく方が良い。

 今年は新しい生活が始まり、それに適応しようとするあまり内面的な変動に対する気づきがおろそかになっていたようだ。

 命日というのは、亡くなった人のためだけにあるのではなく、この世に生きる人のためでもあるのだろう。こういう現象は皆に起こるわけではなく、そういう人もいるということなのだが。

 先生が亡くなった後、私はしばらく抑うつ状態になっていた。このブログを書き始めたこと自体その治療のためであり、本当に脱したと自信が持てるまでに3年程かかっている。自分でも情けないと思ったこともあるが、それが現状なのだから仕方がなかった。でも、私は大きな喪失を経験する前の自分より、今の自分の方がずっと好きだ。

 今年は命日に特に何もしなかったけれど、来年はやはりきちんと死を偲ぶことにしよう。